息子が、その小さな生命を膨らましたのは、
まだまだニューハンプシャーでは雪深い3月の頃だった。
ずっと欲しくてなかなか訪れなかった、新しい命。
諦め掛けた時に判明した妊娠で、夫、アダムは、
耳まで真っ赤に高潮させて、「やった!やった!」と、
妊娠検査薬を手にしたまま、飛び上がって喜んでいた。
その姿が、今でも目に焼きついている。
息子は、とにかく活発な子で、妊娠14週にはもうポコポコと
お腹を元気に蹴るのがわかった。
まだまだ初期の状態なのに、私のお腹は前に突き出すようにふっくらとして、
直感的に、待ち望んでいた「男の子」だと思った。
長女を妊娠したときも、直感ですぐに女の子とわかったけれど、
今回は、あまりに自分がそう望んでいるのでそう思うだけなのかな・・・?と、
顔をにんまりさせながら思っていたものだ。
妊娠18週の頃。待ち望んでいた「超音波検査」を受ける。
アメリカでは、途中で出血したなどではない限り、
超音波検査を受けられるのは、この妊娠中期に一度が普通だ。
超音波検査そのものの目的は、胎児に問題がないかなど、
詳しく調べる為なのだと分かっていながらも、
この時の私にとっては、「性別判断の手段」と言う気持ちでしかなかった。
モニターに写し出されたその小さな生命が、
待望の男の子だと告げられた時の、体の奥底から沸いてきた暖かい喜び。
元気に動くその姿が、愛しくて愛しくて、心をくすぐられた。
あまりに嬉しくて、超音波を担当してくれたテクニシャンの
曇る顔にも全然気がつかなかった。
「私の技術不足かしら、ちょっとハッキリ写らないの」
そう呟いた後、「他の技師に聞いてくるから待っていて」と
言い残して部屋を後にする技師。
足もちゃんと2本あり、指もちゃんと10本ずつあった。
健康そのもの。そう信じて疑わなかった。
次の子がまた女の子だった時の為に・・・と、ずっと取って置いた
長女のお下がりを、やっと友人にあげて処分できるなぁ・・・なんて
ウキウキしながら考えていた。
しばらくすると、なんだか随分とよそよそしい態度で戻った技師が、
さっさと検査を終了し、せっかく撮ってくれた写真を渡されることもなく、
診察室にいる医師のもとへ向かうように指示された。
待望のニュースを、さっそく電話にて、夫と義母に息弾む勢いで伝えた後、
にやけて緩んだ顔をぶら下げて、診察室へと入っていく。
しばらくして部屋に入ってきた医師は、伏目がちに口を開いた。
「お腹にいる赤ちゃんなんですが・・・」
そう切り出す医師は、相変わらずにやけた顔で「はい!男の子でした!」
と能天気に答える私に、力なく微笑むと、ふっと目線をそらす様に続けた。
「実は、息子さんは大変深刻な問題を抱えております。
頭蓋骨の成長段階で異常が生じ、頭の形成が不完全なまま
成長してしまう、Anencephalyという病気を持っています。」
私の顔は、相変わらずにやけている。
こんな時に、なにをこの医者は笑えもしない冗談を言ってるんだろう・・・と、
本気で考えていた。
淡々と説明を続ける医師が、いつ「なーんて、冗談ですよ!」と言うか
本当にひたすら待ち続けていた。
聞いた事もない医学用語がならぶ医師の説明をぼんやりと聞きながら、
ともかくも、思っていたより正常な状態ではないと言うことだけは、
徐々に理解できた。
「それで・・・・、私は一体、
何に気をつければいいのでしょうか?」
石のようにこわばった、未だ笑顔の私がそう尋ねると、
「多くの方は・・・掻爬(そうは)という選択をされます。
何をどう努力しても、決して助かる見込みはないので。」
自分の耳を疑いながら、「助からないって・・・、シンジャウんですか?」
と、まるで自分に起こっていることではないと否定するように聞くと
「残念ですが・・・」と、医師は目を伏せた。
開けたままの目から、大粒の涙がこぼれる。
「助からない、シンジャウ、しんじゃう、死、死んでしまう?」
ほんの30分も前には、天にも昇る勢いだった私が、今はこの小さな診察室の
ひんやりとした診察台の上で、耳に入ってきた言葉を、どう心に、そして脳に
届ければいのか、まったく分からずにいる。
キーーーンと耳鳴りがして、視界から色が消えた。
そしてただ、暗闇の中で自分の身体が宙に浮いたように感じながら、
手足がどんどんと冷たくなっていくのを感じた。
「病気の説明をした資料をお渡ししましょう。
写真もご覧になりますか?」
と言う医師の言葉が、やっとの事で耳に届く。
私は、この「写真」が、さきほど初対面を果たした「息子の超音波の写真」
だと思い、「お願いします」と答えた。
それなのに、医師から渡されたのは、医学書の様なものからコピーされた、
頭の半分がなく、カエルみたいな顔をして、ぐったりと横たわっている、
白黒の胎児の写真だった。
あまりの衝撃に、失神しそうになる。
このとき初めて、事の重大さに気付き、嗚咽のような声が喉から突き出てきた。
「ともかく、ご主人ともよく相談されて・・・。
こちらからお電話されて結構ですから・・・。」
そう言われながら、きっと30分前の私のように
地に足がつかない状態であろう夫の携帯に連絡をする。
弾む声で電話に出る夫に、
「赤ちゃん、生きられないんだって・・・」
と、声をしゃくりあげて伝えるのが精一杯だった。
あとは、医師から説明してもらった。
ひとしきり説明が終わり、「念の為、セカンドオピニオンを仰ぎに、
もう一つ別の病院に行く様に」と付け加えられた後、
再び電話を代わった向こうで夫は、
「仕事の忙しさにかまけて、こんな時に
側にいてやれなくて本当にすまなかった」
と、涙をこらえているのが分かる声で言うと、
「今からすぐに行くから。車の中で待ってて!絶対運転しないで!」
と言って、電話を切った。
その後、すまなそうな顔をして、私の肩をぽんぽんと軽くたたくと、
医師は部屋を出て行った。
しばらくして入室してきた、とても感じのよさそうな看護師が、
「大丈夫?」と声をかけてくる。
私は、なんとか首を縦に振るのが精一杯だったのに、
「ごめんなさいね。でも、次の患者さんが待っていて・・・。
それと・・・・、申し訳ないんだけど・・・、
待合室では 泣かないで頂きたいの。
他の患者さんたちを怖がらせてしまうから・・・・。」
と、告げた。 理解はできる。でも、冷たい言葉だと思った。
車に戻ると、急いで電子辞書を引っ張り出して、渡された資料に目を通す。
「致命的」 「絶望的」 「酷い」
胸に突き刺す言葉が、次々と登場する。
そして初めて病名「Anancephaly」とは、「無脳症(無頭蓋症)」であると知る。
英語でも、日本語でも、初めて聞く言葉だった。
「脳がないってどういう事?!だって、すっごい動いてるよ?!
こうしている今だって、元気に蹴ってるじゃない?
脳がないのに なんでそんな事ができるの?!」
子供みたいに声を上げて泣きじゃくる。ただただ信じられなくって、
ぶつけ所のない怒りに、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった。
一時間後、そんな私の元にたどり着いた夫は、早足に走り寄ると
強く私を抱きしめて、肩を震わせて泣いた。
そうやって二人とも、病院の駐車場にて、ただただ抱き合って
泣くことしか出来ず、時間が過ぎていった。
家へ向かう車の中の事は、あまり覚えていない。
ただお互い手を握り、何もしゃべらなかったように思う。
友人宅に預けていた長女を迎えに行った時も、心配する友人の前で、
泣きはらした顔を悟られないようにするのが精一杯だった。
ただ、病院へ向かう途中で見た、ニューハンプシャー州の州花である
淡く美しい紫色したライラックが、灰色に見えたことだけは
ハッキリと覚えている。