二回に渡るウルトラサウンド(超音波検査)で分かった事。
それは、赤子が念願の男の子であった事。
そしてその子は・・・、たとえ産まれたとしても、
生きていける確立は「0%」であると言う事。
夫、アダムは、大きな体を震わせながら、声をあげて泣いた。
私は、行き場のない憤りに、吐くまで泣いた。
見るもの、聞くもの、感じるものが、すべて灰色へと変化する。
なぜ、こんな事が起こるのか。私は必死で原因を探した。
「きっと私がこうしたから・・・」思い当たる節を並べては、
ひたすら自分を責めた。
「先天性の異常なのですから、誰のせいでもないんですよ・・・。」
医師も看護婦も、みんな口を揃えてそう言ったが、いっその事
「あなたのせいです」と言われたら、どんなに気が楽だったか。
そう思うことで、私は逃げたかったのかもしれない。
原因があった方がスッキリする。
誰のせいでもないのに、ただ「死」と言う道しか与えられなかったなんて、
それではあまりに惨いではないか。
「私が犯した罪」によって、「息子の死」が決定付けられる。
どうか私を罰して欲しい。身が焦げるほど、罰して欲しい。
そう思ったのもつかの間、罰せられるべきなのは私なのに
一番苦しい思いをしてるのは、しょせん息子じゃないか・・と思うと、
自分はなんて偽善的な卑しい生き物なんだと言う、恥ずかしくも、
絶望的な気持ちになった。
助ける事も出来ず、助かる術も全くないなんて、どうしてこんな
不条理な事が起きるのだろう?
世の中には、何の問題もなく産まれた子供をトイレに産み落としたり
窒息死させたり、痛めつけたりする事件が蔓延しているのに、どうして
ここまで望まれて生を受けた息子が、生きていけないのだろうか?
そんなぶつけ所のない怒りの中、ふと気付いた。
世の中には今こうしている間も、私達が知らないだけで、
毎分、毎秒、誰かが、誰かの大事な人を失っている。
絶望的な病気と闘っている人、それを無力感の中、最大の愛で見守る人。
子宝にさえ恵まれない人、突然の別れを強いられる人。
見知らぬ誰かに突然命を奪われる人、そしてその一生消えない怒りを
背負い続けて行かなければいけない人。
そんな中、どうして自分たちの身に、何も起こらないと言えるだろう?
そもそも、この世に生を受けて、普通に育っていく事。
産まれたら、そのままずっと何も問題なく生きていく事自体、
当たり前な事ではないではないか。
こうやって「生きている」という事自体が、「奇跡」なんだという事に
改めて気付いた時、私を取り囲む世界の色が、鮮やかに蘇った。
そして、そのシンプルで、最も忘れがちな尊い事実を、
身を持って教えてくれた息子が、ただただ、いじらしかった。