大阪の地下鉄ばなし〈幼少の記憶〉 | 脳出血、重度の左片麻痺からの「めざせ!社会復帰」

脳出血、重度の左片麻痺からの「めざせ!社会復帰」

2020年3月に脳出血を発症し左片マヒに。リハビリとスピワークを通して、全快復を目指すおじさんの手記。併せて半生を振り返る半生記をエッセイ風に綴っています。

こんにちは、デイヴです。
久しぶりに、本当に久しぶりに鉄道ネタを書きます。

何を書こうかな、とあれこれ頭を巡らせるうち、

ここ近年、劇的な変わりようの大阪の地下鉄が浮かびました。

「osaka-subway.com」様のサイトより

 大阪の地下鉄は、長年にわたり大阪市交通局という部局が運営してきた公営地下鉄でしたが、

2018年に民営化されました。

民営化後は


大阪市高速電気軌道株式会社


と、ちょっくらいかめしい会社名となりましたが、ふだんは


大阪メトロ


という、

「東京の地下鉄の二番煎じかいなw」

と言われんばかりの通り名で称されています。


さて民営化された大阪の地下鉄。最近の話題は新しい車両が続々走り出していること。

上の写真は、昨年(2023年)から走り始めた400系と称する車両です。

別名『宇宙船』とも称される、アヴァンギャルドな正面デザインが強烈!

車内も一般的なロングシートだけではなくて、

旅行気分が味わえるクロスシートの車両も連結しているという……。

およそ通勤通学客をしこたま運ぶ車両とは一線を画した車内設備ですが、

こちらは来年(2025年)開催の関西万博のために作られたらしいです。

この大阪メトロ。最近は黒字経営で元気いっぱいのようですけど、

昭和から平成にかけては大赤字で

にっちもさっちもいかないありさまでした。

純粋な私鉄だったら、とうの昔に倒産しているくらい。


大阪出身のデイヴは、幼少の頃から京阪神の鉄道に慣れ親しんできており、

幼稚園児の頃から社会人となって関東に移住するまで、ずっと関西の電車を見てきました。

もちろん、大阪市内では、地下鉄に乗って移動です。


大阪の有名な繁華街と言えば、キタ・ミナミ。


この両者を結ぶ地下鉄路線は、御堂筋線(みどうすじせん)。

大阪メトロのメインラインで、終日混雑しています。

幼少の頃は、大阪の南郊に居住していてふだんは大阪市内に出入りすることはなく、

しょっちゅう地下鉄に乗ることもなかったんですが、

ミナミの難波(なんば)や天王寺からキタの梅田まで行くときは、

御堂筋線のお世話になるのがお約束でした。

当時の地下鉄はお世辞にも綺麗とは言えず、駅のホームに立つと何やらゴミゴミしてて、ホコリっぽい印象。

今では考えられませんけど、駅構内ではタバコは吸い放題なので、

紫煙がもうもうと地下駅に立ち込めて、まるで霧がかかったような風景でした。

そんな中、御堂筋線の電車が高速で入線してきます。

当時の電車はこんなの↓

You Tube動画より

今はどの車両もアルミorステンレス製のシルバー車体ですが、

当時は綱製で、上半分がアイボリー、下半分がオレンジに塗装されていました。

この電車(50系)が大阪地下鉄のどの路線も我が物顔で走ってたんです。

もちろん当時はクーラーなんて上等な装置は無く、

夏場のクソ暑い日は、蒸し風呂のような車内で乗客は耐えておりました。


中にはこんな年代物の車両もやってきます↓

「osaka-subway.com」様のサイトより

こちらは開業した当初(1933年)の車両(100形)で、

下半分は50系と同じくオレンジに塗られていましたが、

「洗車してないんかい‼︎」

と突っ込まれそうなぐらい煤けて汚らしい風体。

この電車は『吊り掛け駆動』方式と言って、モーターの配置方法が古く、

ドアを閉めた電車が動き出すと、


ヴゥオ〜オ〜オ〜〜!


と地の底から響くようなけたたましい音と共に、

靴の裏が振動しまくる感じの、

とんでもなくおどろおどろしい電車でしたゲッソリ

幼稚園生だったデイヴは、このいかめしい電車に乗るのが少し怖くて、

両親の手をしっかと握りしめていたような……。

当時は1列車6両編成だったかな?

現在の10両編成よりは短いものの、

それでも大阪を南北に縦断するメインラインであるがゆえ、

物心ついた頃の御堂筋線は、


常に多くの乗客で大混雑


という印象でした。

そして、半世紀以上前の大阪万博(EXPO70)を迎え、

大阪の地下鉄も大変革するのですが、その続きは↓




ほなまたパー