骨折した左手首も養生し、ギプスも取れて通常の姿に蘇った。いよいよ本命の府立河南(かなん)高校の受験だ。
同校へ電車で行くにはけっこうな遠回りだ。まずは最寄りの金剛駅から南海高野線の下り電車に乗り、3駅先の河内長野で下車、そこから近鉄長野線の上り電車に乗り換えて4駅目、富田林西口駅が河南高校の最寄りとなる。
ちょうど三角形の二辺をたどる形だ。
ちなみに、河内長野駅での南海と近鉄の接続が頗る悪い。
南海の電車が駅に着く途端、近鉄が発車する。逆もまた然りで、いったん改札を抜けて入場し直さないといけないわけで、どんなに健脚でも乗り換えには1分強はかかる中、これでは乗り換えなど無理。勢い、10〜20分も次の電車を待つことになる。
受験日の数週間前に願書を提出に赴いたが、この電車通学がすこぶる不便なことをあらかじめシュミレーションした。
果たして3月某日、一斉に府立高校の受験日を迎えた。朝から試験会場の河南高校の門をくぐり!割り当てられた教室に入る。多くの受験生でごった返していた。
テスト内容は割とスムーズに答えられるものばかりだった。5教科の試験をつつがなく受けて終了。人事を尽くして天命を待つ、その心境だった。
数日後、合格発表の日。登校してから同じ高校を受験したクラスメートたちと学校を出発、発表会場の河南高校へ向かう。
春の雨の中、電車を乗り継いで高校に着いた。合格者が貼られるボードにはまだ何も貼られていない。
今でこそ、合否は、スマホからネットで確認できる世の中になっているが、当時は合格した者の受験番号が記載された紙を見て照合するという、かなりアナログな世界だった。
雨がそぼ降る中、待っていると、大きな模造紙を持った先生たちが現れた。端をテープで留めると、巻物状の模造紙がくるくると展開され、合格者の受験番号が現れる。
一斉にどよめきが起こる。
「ヤッター! 番号あった!」
と叫ぶ者もいれば、番号がなくてがっくりとうなだれている者もいる。
僕の受験番号はすぐに見つかった。実にあっけない幕切れだった。
「お前のもあった? こっちもあったよ!」
同じ高校を受験した者たちと手を取り合って合格を喜んだ。
その一角で番号がなくてうなだれている生徒がいた。小学校の頃にクラスメートだったHくんだった。
彼は小学校時代からクラスでも1、2を争う好成績者で、クラス中からいちもく置かれていた。そんな彼が
学区内3位の高校を受験していた(彼ならもっとレベルの高い高校を受験していると思っていた)ことに驚いたが、まさかそれにすら不合格となるなんて…。神様のいたずらは、こんなにも冷酷なのか、と思った。
かくして、僕の高校受験が無事に終了した。父母の喜びようといったらなかったことだ。