エホバの証人から遠ざかって数年が経っていたが、僕の中ではハルマゲドンの教えが強烈で、日々何気なく過ごしながらも、引き続き将来を悲観していた。
母は母で悩みごとが減るどころか増えていく一方だったのだろう、クラスメートのAくんのお母さんに誘われて入信したのが「真如苑」という宗教団体だった。
当時の教祖の息子が戦中生まれで、生まれながらにして病弱で夭折したらしいのだが、その哀れさをはかなんで過ごしているうち、ある日、その息子さんの霊が夢枕に立ち、さまざまなお告げをしていったことが真言宗から独立した教団の発祥となっているのだとか。
少しサイキック(心霊)な要素が入っていることに興味を覚えた僕は、母に連れられて岸和田のとあるお宅で毎週のように開催されている集会に参加した。
多くの主婦と思しきご婦人が参加していて、それぞれに自身の体験談を語る。
家庭内の不和が、「接心」して考え方を変えることで穏やかになった、とか、不治の病が治ったとか…。さまざまな体験談を聞かされ、それは母にしてみれば一筋の光を見たのかもしれない。
ここで「接心」という言葉が気になった。経典にも幾度もその言葉が散りばめられている。よくよく調べてみれば、過去に夭折した教主の息子さんの霊が降りてきて、必要なことを霊言として告げてくれる、そのことを指していた。いわば青森・恐山の「イタコの口寄せ」みたいなものだ。今は息子さんの霊が降りてくるのではなく、修行した指導者が瞑想をしながら浮かんでくる内容を言葉にして伝えてくるそうだ。
僕の興味がひときわ高まった。
クラスメートのAくんは、かなりのやんちゃ坊主で、およそ宗教とは関係ない世界で過ごしていそうに見えたが、こと真如苑に関しては熱心に取り組んでいるようで、「これをしよう」「あれをしよう」と積極的に誘ってくる。
そういう経緯である日のこと、大阪精舎という大阪の真如苑の拠点に行くことになった。
南海電車でなんばへ出て、地下鉄に乗り継いで梅田へ。梅田から阪急宝塚線に乗って、昔、母方の祖父母が住んでいた石橋で下車、そこから坂道の続く住宅街を歩くこと約30分、待兼山町という高級住宅街の一角に真如苑の大阪精舎が忽然と姿を現した。
築年数はまだ数年しか経っていないようで、いろんな設えが現代風だった。巨大な本堂に入ると、御本尊の巨大な涅槃像が横たわっていた。
仏像というと、ふつうは座像だったり立像だったりするのだが、涅槃像は釈迦が右肘を立てて横に寝そべっている像だ。その姿が珍しかった。
多くの人が本堂を埋め尽くし、法要が始まる。涅槃教を見おう見まねで唱え、般若心経を唱和(その後、般若心経はそらんじることができるようになった)。
約1時間で法要が終わると、その日ごとに選ばれた信者が前に出てきていろんな体験談を語る。これを含めて約2時間の定期法要が終わる。
法要が終わっても、接心を受ける信者が大勢残る中、本堂を後にした。
それからも僕は教団が発行する雑誌を読み、岸和田の信者のお宅へ通った。そのうち母は飽きたと見え、集会には顔を出さなくなったが、僕は熱心に通った。
毎朝のお経を唱えるのが日課になり、その時は母と弟も祭壇の前で正座をして倣ってくれた。