模型店巡り | アラカンのリハビリライフ☆五体満足を目指して

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2020年に脳出血で左片麻痺に。自主リハビリを続け、回復への道のりや旬の話題、趣味について発信していきます。

1963年(昭和38年)12月生まれの人間が、脳出血からの左片麻痺で治療中であることを利用しつつ、半世紀以上生きてきた軌跡を振り返る半生記エッセイ。今日は鉄道模型に目覚めた僕と幼なじみのMくんが、鉄道模型専門店巡りをしていた頃の話。

自宅最寄りの金剛駅から難波行の各停に乗って5駅目に「初芝(はつしば)」という駅がある。今は堺市内の下町風情の賑やかな住宅街だが、戦前には高級住宅地として開発されたようだ。
この初芝駅から歩いて3〜4分ほどの場所に「南海模型」という模型店があった。幼なじみのMくんが教えてくれたもので、2人でよく冷やかしに行ったものだ。
店先のガラスケースにはHOゲージの模型車両がビッシリと並べられており、その中には戦前の展望車である「マイテ49」の姿もあった。Mくんは後日、親にねだって、C57とマイテ49を購入した。
2人で愛読したのは「鉄道模型趣味」という月刊誌だった。ジオラマ制作の記事を読んでは、2人でジオラマ制作に思いを馳せた。たまたま彼の祖父母の家が、南海本線住之江駅の真裏にあり、何度か遊びに行ったことがあるが、戦前に建てられたような、真夏でもヒンヤリするくらいの涼しいところで普段は使っていない8畳間に狙いを定めていた。
ただこの家は、南海電鉄の立体交差化工事で立ち退きの対象になっていて、後年、取り壊されてしまい、ジオラマ制作は夢で終わってしまったが…。
その「鉄道模型趣味」誌には、巻末に全国の模型店の広告ページがあり、その中に大阪市内の「ツバメヤ模型店」の広告があった。そこにはどんなものがあるのだろう、ということで、Mくんと情報のやり取りをする。彼が言うには、地下鉄で行っても良いが、なんば駅前から出ている市バスのある系統に乗ると、乗り換え無しで最寄りバス停まで行けるそうだ、という話なので、さっそくそのルートで向かった。

南海電鉄のターミナル、難波駅前の大きな横断歩道を渡り、阪神高速の高架下を北へ歩いたところにバス停があり、「杭全(くまた)」と行き先の書かれた市バスが客待ちをしていた。僕たちの目指すバスだ。
乗り込んで、最後尾の座席を2人で占める。日曜日の午前中なので、乗客はほとんどおらずガラガラ。
発車時刻になり、バスはエンジンをふかしてゆっくりと走り出す。湊町駅(現在のJR難波駅)を経由して、四つ橋筋を北上、大阪駅前から扇町通りに沿って天神橋筋六丁目(天六)へ。ここが「ツバメヤ模型店」の最寄りだ。バスわ降りると、目の前の道路上に併用軌道が敷かれており、まっ茶色の単車が留まっていた。小さくて細い段差がホームのようだ。確か市電は全廃されたはず…といぶかしんだが、後で調べてみると、阪神電車の軌道線だった。当時は阪神間の国道2号線上を阪神国道線という路面電車がふつうに走っており、北大阪線と名付けられたこの路線は、国道線の支線的な位置付けであったようだ。比較的狭い道路だったので、この路線は、単線だったように記憶している。
目指す「ツバメヤ模型店」に着くと、ガラスケースが設えられており、精巧なジオラマの線路にレールバスが載せられているのを発見し思わず見入る。店内に入ると、頭の薄い店主がニコニコ顔で「ハイ、いらっしゃい」と出迎えてくれた。
初日は単に冷やかしただけで小一時間ほどで店を出たが、次にMくんがC57を購入するときは
「ハイ、どうぞー」と言いながら、ニコニコ顔で実機をレールに載せ、何度も往復させて試験運転をし!丁寧に梱包してくれたことだ。僕は後日、ここでレールバスのキハ02と、かなり半径の大きい曲線レールセット、さらに旧型客車のスユ42とマシ35を購入した。その際も店主は「ハイ、どうぞー」とニコニコ顔で応対してくれた。
Mくんとの模型店巡りはその後も大阪駅前のマッハ模型や近鉄八尾駅前の大谷模型店など、いくつかを巡ったが、実際に多用したのはツバメヤ模型店だった。いつしか阪神北大阪線は廃止されて線路が剥がされ、道路の幅員が広がっていた。
その後、、府立高校に合格すると、ご褒美にEF81をツバメヤ模型店で購入したが、その後は部活で鉄道模型の趣味も封印するようになり、模型店への足が遠のいた。
鉄道模型趣味誌を毎号立ち読みするたびにツバメヤ模型店の広告をチェックしてはいたが、いつの間にかその広告がなくなっていることに気づき、ネットで検索してみると「店主高齢化のため、閉店」の文字を見つけた。初めて模型店の暖簾をくぐったときも、その店主は初老だったので、月の世代に代替わりしていたのだろうが、その人もよる年波には勝てなかったのか。そのネット記事を読みながら、ふとジオラマ制作に夢を馳せていた頃を懐かしく思い返し、しばし感傷にふけったことだ。