絵日記 | アラカンのリハビリライフ☆五体満足を目指して

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2020年に脳出血で左片麻痺に。自主リハビリを続け、回復への道のりや旬の話題、趣味について発信していきます。

1963年(昭和38年)12月生まれの人間が、半世紀以上生きてきた軌跡を振り返る半生記エッセイ。今日は小学1年生の夏休みの宿題にまつわる話。

1970年(昭和45年)5月に転校してきてはや2か月。待望の夏休みがやってきた。

夏休みに宿題は付き物。算数のドリルや漢字の書き取り問題など、けっこうな分量の宿題が担任のI先生から配られた。その中に絵日記の宿題もあった。毎日でなくても良いので、家族と旅行やイベントがあったらそのときのことを書いてほしい、と説明を受けた。

本来は無精者の僕は、何も考えなかったらほったらかしになり、夏休み終了間際に焦りまくることが潜在的にわかっていたのか、翌日からさっそく宿題に取り掛かった。おかげで1週間も経たないうちに、算数や漢字の宿題をすべてやり終えた。

絵日記は、というと、一瞬、書くネタに困ったが、幸いなことに祖母があちこちへ連れて行ってくれたので、そのことをネタにすると、あっという間にページが埋まった。当時は大阪万博が開幕中で、それも大いにネタになったと思う。
毎日のように書いていくうちにとうとう紙面が尽き、最終ページになった。母親に話すと、文房具屋で、新しく絵日記帳を買ってもらい、続きはそちらに書くことにした。

8月31日の夏休み最終日まできっちりその日にあったことを記し、翌日の始業式に提出。僕が毎日書き溜めた2冊の絵日記帳を担任のI先生にドサリと提出すると、先生はページをめくりながら、

「まぁ、あなた、こんなにもたくさん書いたの!?」と目を丸くしてビックリしていた。

後日、2者面談の時にそのことを先生は話したようで、母親がとても機嫌よく褒めてくれたことだ。
照れ屋の僕ははにかんでみせたが、内心はとても嬉しかった。

このことは母親の自慢の一つとなり、ことあるごとにこのエピソードを周囲に語って聞かせるのだった。