1970年(昭和45年)5月に転校してきてはや2か月。待望の夏休みがやってきた。
夏休みに宿題は付き物。算数のドリルや漢字の書き取り問題など、けっこうな分量の宿題が担任のI先生から配られた。その中に絵日記の宿題もあった。毎日でなくても良いので、家族と旅行やイベントがあったらそのときのことを書いてほしい、と説明を受けた。
本来は無精者の僕は、何も考えなかったらほったらかしになり、夏休み終了間際に焦りまくることが潜在的にわかっていたのか、翌日からさっそく宿題に取り掛かった。おかげで1週間も経たないうちに、算数や漢字の宿題をすべてやり終えた。
絵日記は、というと、一瞬、書くネタに困ったが、幸いなことに祖母があちこちへ連れて行ってくれたので、そのことをネタにすると、あっという間にページが埋まった。当時は大阪万博が開幕中で、それも大いにネタになったと思う。
毎日のように書いていくうちにとうとう紙面が尽き、最終ページになった。母親に話すと、文房具屋で、新しく絵日記帳を買ってもらい、続きはそちらに書くことにした。
8月31日の夏休み最終日まできっちりその日にあったことを記し、翌日の始業式に提出。僕が毎日書き溜めた2冊の絵日記帳を担任のI先生にドサリと提出すると、先生はページをめくりながら、
「まぁ、あなた、こんなにもたくさん書いたの!?」と目を丸くしてビックリしていた。
後日、2者面談の時にそのことを先生は話したようで、母親がとても機嫌よく褒めてくれたことだ。
照れ屋の僕ははにかんでみせたが、内心はとても嬉しかった。
このことは母親の自慢の一つとなり、ことあるごとにこのエピソードを周囲に語って聞かせるのだった。