転校初日は心細さでベソをかき、クラスで物議を醸し、ナーバスなデビューとなった。
翌日、同じ棟の小学生が自主的に集団登校しており、声をかけられるが無視。前日のことで意気消沈しており、素直に応じられなかった。そのことを知った母親が「みんなと一緒に登校しなさい」と諭してきて、仕方なく集団登校の列に加わったのが翌日。
1〜2週間経つと、ようやく学校にも慣れてきて、心細さが何処かへ行ってしまった。
そんな中、春の運動会がやってきた。
当時の運動会オンシーズンは秋だった。春は純粋に児童たちだけのイベントで、走ったり、綱を引いたり玉を入れたり、定番の内容。家族たちに披露するダンス等のマスゲーム的な出し物は秋の運動会でやることになっていた。
特に保護者の観覧もないので、たまにポツリポツリと雨粒が落ちてくる曇天の中、運動会が始まる。最初は定番の徒競走。1年生の僕は、確か50メートル走だったと思う。
スタートラインに並び、スターターの「パーン!」という合図で一斉にスタート。最初よこならびだったが、懸命に走るうち、なんとトップでゴール。戻ってくるとクラスメートたちが「すごっ」「コイツめっちゃ速い...」などとささやき合っている。そのうちの一人が「お前、めっちゃ速いなぁ」と声をかけてきた。こっちは照れが出て少しはにかみながら「ああ...」と応じるのが精いっぱい。
転校時の一件からとても内向的になり、あまりしゃべらなくなっていた。今まで泣いていた自分が次の瞬間、別のことではしゃぐのが、頭がおめでたすぎてとてもみっともなく思えたからである。
それにしても不思議だ。練習もせず、いきなりの50メートル走でなぜに1着だったのだろう? 幼心に思い返してみて思い当たることがあった。
お婆ちゃんっ子の僕は、幼稚園時代からあちこちに手を引かれて連れていってもらい、いく先々で歩いた、歩いた。脚がだるくなっても我慢した。抱っこをねだることがみっともなかったのだ。なので祖母は僕を連れ出しやすかったのだろう、本当にいろんな場所へ連れ出してくれた。
歩きに歩いたので、その分、健脚になり、それが、走らせるとスピードに反映されたのだろう。
ただし徒競走で1着になったのはこれっきり。根っからのインドア派で運動嫌いだった僕は、学年を追うごとに徐々に脚が遅くなり、高学年にいたっては肥満気味になって、徒競走でも後ろから数える方が早い順番になった。