おはようございます。
公園から聞こえてくる子供らの声

毎朝の音なんだけど
一日が始まるなーって感じます。

この間
ご飯を作っているときに
食べてくれる人がいるからこそ
献立を考える幸せがあり
食べてくる人がいるからこそ
作るかいもある

毎日家族の健やかな日々を
思いながら
考えるのは
面倒だって思うことも
あるけど

それでも
誰かのために作れるのは
ありがたいことだと思う

三つ葉のおひたし、モヤシのピリ辛和え、椎茸と茄子の甘辛いため
このチキングリルすごーく上手かったのだ



ふとね
ふと


一人でも
自分のために
ご飯を作り
自分を満たすために
自分が幸せになるために
作ってみよう

そんなんが浮かんできた

毎日
一人分は作れない(と決めている)
誰かのために作りたい(私のためが一番だよ)
皆の笑顔がみたい(私の笑顔が最高)

今までは家族や友達のため
誰かのために作ってきたから

これからは、私を満たすための
食事も作ってみよう

皆の笑顔がみたいという気持ちと
とにかく、ご飯を作る行為が好き

偏食で骨と皮ばかりの子供時代
食べられるものは
豚の脂、赤ウインナー、納豆、卵
野菜ほとんど食べられず
食べる楽しみもなかった

誰かが食べるのを見ることが好きで
それから
作るのが
ますます好きになる



『食べる』が
私にとっては
大事だからこそ

今までは後回しにしていた
『私』のために作る


他の家事(洗濯、掃除)
好きじゃないのに
やらなきゃならぬと
やってることが多くて
知らぬ間に
ルールが出来上がってた

『出来高許可制』


これをやるには
これとこれが出来ないと
やってはいけない
やりたいなら、することをしてから


そして
他の人にもそれを押し付けてた

例えば
主人

彼にとって
息すること
ご飯食べること
排泄すること
同じくらい普通なことがあり

けれど、私にとっては
全く必要がないので

◯◯が出来ないならそれはやらない
△△が前提だから、ないならダメ

空気吸うことや食べることに
条件なんて
ついてないから
それを言われた方は
困惑するし
お互いの意思疏通も出来ない

お互いが苦しい


そして娘

これとこれをやりたいなら、
AとBは必ずやって
⬆️
子供だと思ってるから
常に上から目線
押し付けの極み

だから
彼が出来たときに
娘が
私に
『お母さんは
私にはに彼がいてはいけない
一生一人が良いでしょう😭😭😭』
言われた

唖然!!!
そんな風に思っていたんだー

というか
日頃の私の態度が
その偏った思い込みをつくらせたんだね




もめることって
目線の高さの違いも
あるし

その事への個々の重要度の割合
当たり前という考えと
それは特別という考え
違うと
話が噛み合わない


お互いが歩み寄らないと
解決しないし

理解できなくても
そこにある
そこにいるわけだから


合わないけど
在る事には
×をしない

ついつい
出来てないところに
目を向けてしまいがちだけど

出来るところに目を向ける

満たされている
溢れている

その感覚が最近好きだなぁ


片付けしたら
また散歩に出掛けよう

気持ちがゆるゆるになるよー