公園の前に住んでる
子供が泣きながら
お母さんを追いかけてる
東京にいる時もよく見た光景で
なかなか
胸が締め付けられるんだけど子供のわがまま(と思っている事)に対してお母さんは「ここでしっかり分からせておかないと」と思っているように思われる
別に意地悪したくて
とかこの子が可愛くなくてではなく
この子を思うが故と共に、子供の心情に寄り添うだけの余裕がないんだと
自分の過去を振り返って察する
しかし
今子育てを終わって見るその光景は
その方法は間違ってる
と思うのが祖母の見解なのよね
思い起こすと
近くに居た祖母達そして近所の歳を重ねた女達は、今ある目の前の問題に正面から向き合わないという策を持って、サラッと事なきを得ていた
ギャンギャン泣く子供と綱の引っ張り合いみたいな事をせず、一旦意識を違う方向に変えて、「興奮を収める」という事に長けていた
そんなことが出来ないのが「若さ」であり、こうするといいよと難なく解決を見せるのが経験値の高い長老の姿だった
孤となった家庭のあり方は
そんな方法を伝える存在の貴重さは
同居の鬱陶しさと面倒臭さばかりに包まれて日の目を見ることなく
抑え込まれ愛情不足に見える子供がただでさえ少ない子供の中で増幅している
虐待を救うのは監視の目ではなく
犬のしつけ教室のような
子供のしつけ方を学ばせる場じゃないかと思う
言葉を使う人間は、言葉でなんでも伝えられると勘違いしている
犬を育てていると、こんな風に興奮をコントロールする事が大切だと知っていたら、言葉で伝えられない幼少期の子供にももっと寄り添えたなぁ…と反省する
今回
同居する息子夫婦に妊娠が分かった
付かず離れずいいガス抜きの役目が果たせたらいいな…🙄
と思っている
さて…どうなるやら…ね😝