答え合わせ 6 | だって、ゲイなんだもの。

答え合わせ 6

2011年12月17日(土)

ゲイが思う 「内柴は本当に(準)強姦したのか6」

テーマ:ブログ

ちょっと間があいてしまいました。すみません。


時間が進んで、捜査関係者からの情報がぱったりと止まりました。
その代わり週刊誌などの記事が溢れているんですが、どうもよくわからない。
内柴の前後の素行・学内の噂といったネガティブな情報を、学生と関係を持つなんてという先入観でまとめてあげた感じで、しかもこの事件が公になってからネガティブな情報が流れまくっていましたから、どこまであてにしていいのかわからない。


ということで、前回の話を続けます。


被害者が警察に被害届を出した時期はいつなのか。

かなり早くから被害届が出されていたのなら、被害者は端から内柴がやったことは犯罪だと思っていたことになります。


前回私が、立ち読みしたフライデーに事件間もなく被害届が出されたと書いてあった、ということを書きましたが、すみません、読み直したけどありませんでした。立ち読みとネットのザッピングで混乱しているのかもしれません。でも、このことはちょっとポイントかと思うので考えたいと思います。


内柴が逮捕されたのは12月6日。懲戒免職になったのは11月29日。被害届はいつ出たのか?


被害届が出されたのが警視庁ということもあってか、被害後間もなく被害届が出されていたという報道もありますが、これにも私は否定的です。


被害届が早くに出されていて、示談交渉が進んでいるので事件化されず、その後示談が決裂したのだとすれば、決裂してから逮捕されるまでの期間が長すぎます。

この事件は、大学の教員・部活のコーチが学生に乱暴を働いたという事件です。密室でのできごとです。犯人の立場からすれば関係者の口を封じれば事件は曖昧にできる。とにかく逮捕は急がないと証拠が消されてしまったらどうすると警察は備えます。

もし早々と被害届が出されていたのなら、示談が決裂して間もなく逮捕されていたと思います。一週間もあったら証拠隠滅ができるじゃないですか。そのあいだ警察は何をしていたんだということになる。


それに被害届を早々と出していたのであれば、学長の記者会見でそのことに触れられていてもいいように思いますし、内柴のやったことは「犯罪」だと言ったと思います。「セクハラ」ではなく。


被害届は懲戒処分を受けたのちに出された可能性が非常に高いと思います。



被害届が、大学の懲戒処分のあとに出されたのだとすると、もう一つ新しいことが気になります。


被害届が出されたのが、なぜ警視庁なのか、ということです。

地元の警察でもよかっただろうにね。


なぜ東京まで行ってわざわざ出すか?



被害女性側に専門家がついているということです。


警視庁なのか熊本県警なのか大した違いはないのですが、大してないその違いのために警視庁を選んだのだとしたら、被害女性には専門家がついています。


もう、この事件は被害女性がコントロールしているのではないと思います。


(続く)