あとがき | 脱!マイナス思考。~私の母はパチンコ依存症~

あとがき

母の誕生日から1年7ヶ月経つ。

私は母と一度も会ってはいない。


買い物帰りに車の中で急に涙が出て止まらなくなったり、

ふとしたことからフラッシュバックのようにあの頃の不安が押し寄せてきて

何も手につかなくなったり。


なにより眠れなかった。

どんなに辛いことがあっても泣き疲れて何時しか眠っていたこの私が。


引越しは「逃げ」だった。

再び娘がいなくなることで立ち直るきっかけを与えるというよりも

私自身「母」という存在を忘れたかった。

もう何も考えたくなかった。


母は亡くなった。そう思えばいい。


2004年の11月から記事を書き始めた私。

思い出したくないはずなのに・・・私がこうして記事を書き始めたのは何故だろう。

やはり懺悔の念だろうか。


「言い訳」をしたかったのかもしれない。

私はここまで頑張ったのよ。だから許して・・・と。


2005年の4月


セカンドオピニオンを受けた病院にて、

私の病気は難病である可能性が低いという結果が出た。


毎食後欠かさず飲んでいた薬も現在飲んでいない。
苦しかった食事制限も無くなり、美味しいものを美味しく食べるという生活を

再び送ることが出来ている。

母はどうだろう。

食事は取れているだろうか。病気になどかかっていないだろうか。

誰もいない自宅でひっそり亡くなっていたりしないだろうか。


私がこうした想いにさいなまれているだなんて母は思ってもみないだろう。

母はそういう人だ。


娘が自分の前から姿を消した理由を考えるのではない。

見捨てられた。もう自分のことを心配してくれる人がいなくなった。と。


事実、私がいなくなってからもパチンコへ行っているそうだ。

私に代わって母の様子を伺いに行った伯父がそう言っていた。


母との会話で印象深かったものがある。



「ゆずの為にも・・・お母さんパチンコ辞めるわ。」


「私の為じゃないでしょ?いい?
自分の為に頑張らないとダメなんだよ?
誰の人生?お母さんの人生でしょ?」



自分で自分の人生を捨ててしまっている母は

これから先も立ち直ることなんて出来ないだろう。


寂しいのだろう。

夫も娘も自分の元から去ってしまって。

けれど去ってしまった原因を、一度だって考えたことはあるだろうか。


去られた側は辛い。

けれど去った側がもっと辛いことだってあるのだよ。


母はよく私が幼かった頃の夢を見ると言っていた。

小さな手をひいて、父の降りるバス停まで迎えに行く時の夢を。

母にとってその頃が一番幸せだったのだろう。


私もおぼろげに覚えている。

手を繋ぎ歌いながら歩いたじゃり道を。



お手々つないで野道を行けば
みんなかわいい小鳥になって
歌をうたえば靴が鳴る
晴れたみ空に靴がなる♪



あの頃小さかった私の手は、もう貴方と同じ大きさになったのです。

時は経った。どんなに楽しかった思い出も戻ることは出来ない。


しわがれて、ギャンブルによって震えているその手を

握りしめることが出来る日はくるのだろうか。。。

握りしめることが出来た時、その手はもう冷たくなっているかもしれない。



この世の中でお母さんを一番心配してるのは私。
この世の中でお母さんを一番愛しているのも私。
この世の中でお母さんを一番憎んでいるのも私。



今でも。。。今でも。