【はじめに】
『カラマーゾフの兄弟』は、ドストエフスキー(1821-1881)によって書かれた、長編の小説。先日の傑作選で書いた通り、私は今のところ、これが人類の最高傑作だと思っている。
今日は『カラマーゾフの兄弟』(原卓也 訳)のあらすじや解釈、感想などを綴ろうと思う。
ロシア文学あるあるの覚えずらい名前を極力削る為に、呼称は本名で統一し、名・姓のみで書く。
↓傑作選はこちら↓
【あらすじ】
主人公は、カラマーゾフ家三男のアレクセイ・カラマーゾフ。
父親のヒョードルは淫蕩家で大酒食らいでお金にがめつい、人間の欲を全て集めたような男である。長男ドミートリイはそんな父に似て淫蕩化で、女性とお金が大好きで直情的。次男イワンは冷静沈着、頭が良い。三男アレクセイはキリスト教に敬虔で、純粋な心を持ついわゆる「善人」である。父親ヒョードルと長男ドミートリイは、ある女性を取り合って大喧嘩をしていた。
町にはゾシマという長老が居り、皆に尊敬される敬虔なクリスチャンであった。彼はアレクセイの師匠でもあったが、高齢で体調があまり良くなかった。そんなゾシマ長老を憂える中、アレクセイは次男イワンから無神論について聞かされる。子供がいたるところで虐待を受けている事実があるのに、神はどうして何もしないのだ、本当は、神はいないのではないか、という話である。そして「大審問官」という、イワンの作った話を聞かせる。イエスが異端審問官によって異端と宣言され、火刑に処されるという内容だ。アレクセイはイワンの正気を疑う。神は善悪の基準であったからだ。もしも神が居ないのであれば、善悪は存在しない。イワンは、続けて父親の殺人について言及する。あんなクソ親父は、殺してもいいのではないか、と。
そんな中、ゾシマ長老は老衰して死んだ。キリスト教的な考え方では、死んだ人の魂は最後の審判で裁かれる。そして善人(聖人)であれば肉体は腐敗しないと考えられていた。しかしゾシマ長老の死体から腐臭がしはじめた。アレクセイは神というものに疑念を抱くようになる。
父親ヒョードルと長男ドミートリイの争い、ゾシマ長老の死、イワンの無神論などを目にして、アレクセイはどのように考えるのか。
【解釈】
これ以降は読み終わった人向けの内容。『カラマーゾフの兄弟』を高く評価する理由を説明する。
文学の意義の一つは問いかける事である。『カラマーゾフの兄弟』において問われている事は何だろうか。
それは「神はいるのか」という疑問だ。さらに言えば「不死が無ければ善行はない」というイワンの主張の是非だ。
自分は最初から神を信じていないから関係ない、と思っただろうか。そんな事は決してない。「神」とはは善悪の基準を定める物として描かれている。あなたにとっては、マナーや道徳、法律、文化などがそれにあたるかもしれない。
宗教の世界では、「罪業」(sin)を行えば罰(ばち)が当たる。「非宗教」の世界では「罪」(crime)を犯せば罰(ばつ)が下る。
「ばちは実際にはあたらないけど、ばつは実際に下るじゃないか」という主張が聞こえてきそうである。そういうことではない。ここで重要なのは、ある罪には罰が下されると「信じている」という事だ。ばつとばち、sinとcrimeは構造上は同じなのだ。
そこでもう一度問うてみる。善とは何だろうか、悪とは何だろうか。それは会部には無く、個人の中にしかない。すべては許される。では、何をしてもよいのか。結論はそうではない。これ以上は『カラマーゾフの兄弟』を越えてしまう。哲学と倫理の記事でまた語りたい。
この作品は、人間にとって根源的な謎である「善悪と正義」や「幸福」、もしかすると人間に関する「すべての謎」、を考える上での土台となるような問いかけがなされている。この問いかけの質こそが、本作の最大の魅力であると、私は考える。
【感想】
個人的にどこが好きか、という感想を書く。
1.人物の描写
ここからは、自分が好きな所、という事になってしまうが、本作の魅力をもう少し語りたい。
ドストエフスキーは、小説という形式の良さを最大限に引き出している作家であると思う。小説の良さとは、内面描写を精緻に行える事、説明をいくらでも足せる事、の二つがあるのではないだろうか。
前者については『罪と罰』のラスコーリニコフの長い葛藤や思考に色濃く表れている。
後者についてはヒョードルの過去や登場人物の性格描写などが上手いなと思った。きっと共感できるキャラクターが居るはずだ。ロシア語が読めて、原文で読めたらなと何度も思ったが、残念ながらそんな日は来ないだろうな。
これは持論だが、「よい作品」は、その表現形式でないと味を失ってしまうほどに表現形式とマッチしている、と思う。シェイクスピアの作品が劇という手法でなく小説になってしまうと、解釈の余地が狭まってしまうし、『罪と罰』も映画になれば主人公の独り言がうるさすぎるだろう。
漫画のアニメ化で上手くいっている物や、実写化で上手くいくものもあるにはあるので、全てに当てはまるわけではなさそうだが。
2.物語の構成
後半のサスペンスの部分は、人物の関係が複雑に絡みあい、まるで推理小説のような様相を見せた。これだけの厚みのある話を構成したドストエフスキーには脱帽である。
ところで、『カラマーゾフの兄弟』は未完であったと聞く。しかし続編は書かれなかった。多くの読者は、「続編は必要ない。この作品は完成しすぎている」と褒め称えたそうだ。私もそれに同感だ。完成しすぎている。だが、あんなに長い作品であったにもかかわらず、もっと読みたいと思う気持ちもある。