【はじめに】

今日の記事は、大学生が語るにはかなり大きなテーマかと思います。ですが本を深く読む上では欠かせない事柄です。「文学」という大きなものについて考える事は、ひとつひとつの文学作品をどう読むかということに直結するでしょう。
 

【そもそも文学とは何だろう】

まず前提として、当たり前のように「文学」という言葉が使われますが、文学って一体何なんでしょうか。

一番最初に思い当たるのは小説ではないかと思います。ですが文学はそれだけにはとどまらないと、私は考えています。

文とは何かといえば、それはことばです。言葉とは、音や文字などの記号を使って何かを表現する事です。しかしより重要なのは表現というよりも、その裏にいる人間なのではないでしょうか。言葉を使うのは人間だけである、と現代の言語学では考えられているそうです。だからこそ人間を表す言葉として「文」という一文字を使ったのかなーと、推測しています。

この人がどう考えているか、あの人はどう考えているか。そういった個々人の「魂」というか「精神」というか、「中身」と呼ばれるようなものを探っていくことで、人間の「中身」の普遍的な像を考えること。ひいては人間とは何かを見つけていく営み。これが私の言う「文学」です。

ですから音楽や絵画、人類の歴史や建築を研究することも文学と言えます。

文学部は人文学部とも言われることがありますが結局はどちらも同じことです。大抵は、人間とは何かを探るのが最終的な目標になるかと思います。

文学と似ている言葉として「哲学」があります。確かにこの二つは共鳴し合う部分があります。哲学も誤解されやすい学問ではないかと思っています(もちろん私が誤解していない保証はどこにもありませんが)。哲学とは、考える営みそれ自体であると私は思っています。小難しい哲学者の言葉を収集するのではなく、自分で考えようとする姿勢ではないか、と。いつか別の記事で哲学をしてみようと思います。

 

【文学は必要なのか】

はい、必要です。絶対に。

文学は不要だという風潮が強いですね、特に最近は。ですがそれは、文学部がフィクションを読んで感想を言い合っているだけの非科学的な集団だと思っているからではないでしょうか。

そうではなく、文学は非常に科学的なものです。「科学的」というのは、水が一気圧では百度で沸騰する、というような一般法則を作る事です。目の前の事実を見て、それが何を意味するか考え、ひとつの仮説を立てる。反証を探し、理論として形作る。これが科学です。文学はそもそもが普遍・一般を見つける営みなので、科学的な学問と言えるでしょう。

科学には答えがあるが文学には答えが無い、だから無用だ、という主張もあるかもしれません。私は、それは正直ナンセンスな主張だと思います。物理も化学も、別に答えがあるわけでは無くて、ただ公式が上手い事いっている、というだけだではないですかね。それで良いんです。暫定で良いんです。使えるんですから。それに、文学の世界にも間違いはあります。間違っていないものを集めることで、何が見えるかを捉えようとしています。

文学が科学的な学問だと主張しましたが、ではその科学的に検証された何かは役に立つのか。大いに役立ちます。というか、必要不可欠です。例えば文学が扱うテーマとして重要そうなものは、なぜ人は争うのか、人間にとって悪とは何か、良いとは何か、豊かさとは何か、幸福とは何か、、、などなど、思いつく物だけでも枚挙にいとまがありません。

 

【文学の課題】

ここまで文学を礼讃するような文章を続けてきましたが、文学にも課題・問題点はあると考えています。それは「ことばの限界」「論理の限界」「認知の限界」です。これは今、私が名付けました。ちょっとかっこいいですね(笑)。このテーマについても、こんど別の記事にしていきたいなと思います。