うまくいかないと悔しくなるのは、そのことが好きな証拠なのかもしれない。
うまくいかなくても悔しさを感じないのは、そのことに興味がないことの現れなのかもしれない。
そう考えると、好きという感情は執着という感情と近いんだろうか。
それだけではないような気もするけれど、執着は好きを構成する要素の1つではある、そんなところか。
悔しさを感じることができているうちは、まだそこに伸びしろがある。
そんな風に思えれば、悔しさもまた1つの指標になるのかなと思った。
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帰宅困難者の気持ちを少しだけ味わう。
入り込む隙間がなかったために見送った電車を最後にして、JRの電車が運休になってしまった。
諦めてバスに乗りこみ私鉄の駅に向かうも、駅の前には人だかり。
頼みの綱が切れてしまい、皆打つ手がないといった様子。
タクシーで帰ろうとする人達や、どこかへ電話し迎えにきてもらう段取りをしている人、駅員にしきりに状況を聞いている人。
とりあえずトイレに行っておこうと思い、駅向かいにある商業施設に行って用を足したら警笛の音が聞こえたので「えっ」と思う。
改札を次々抜けていく人が見えたので、運転再開したのだなーと安心した。
こんな時、ただひたすら家路を目指してしまうよりも、
とりあえずお茶でもしようとか、せっかくだから外食にしようとかいう考えがなんで浮かばなかったんだろうと、帰りの電車の中で悔やむ。
トイレに行く途中でがらがらの飲食店を見て「皆、そういう気分ではないんだな」と思ったけれど、
そういう時に人とは違う判断ができていたら、くたくたにならずに済んだのかもしれない。
「電車止まってダメっすよ、ははっ」みたいなことから、楽しい会話ができていたかもしれない。