武蔵が追い求めたもの | DAIGOの名言から紐解く言葉の意味

武蔵が追い求めたもの

武蔵が追い求めたもの

時は安土桃山。

豊臣秀吉の死、関ヶ原の戦いにより、世の中心は豊臣から徳川へと移り変わりつつあった。

そのような時代の変化は、武士にとって多大な影響を与えた。

武士が活躍する戦というものが極端に減ったのである。

よって、ある者は農業を、またある者は漁師になり、また別の者は商人となった。

多くの武士が生きるために職を変え始めた。

そんな中あえて武士、いや侍という職業を全うしようと臨んだ輩がいた。

その名は宮本武蔵という。

武蔵は新免無二斎という優れた兵法家の下で育った。

その影響か、常に侍の中で天下を取るんだということを意識させられた。

剣豪と聞くものがいたら、真っ先にいって勝負に挑む。

そんな生活を送っていた。

槍術で有名だった宝蔵院の胤舜、鎖鎌の宍戸梅軒、京の兵法家吉岡清十郎、伝七郎を破っていくと、武蔵の名は世に知られるようになっていった。

それと同時に、武蔵という名を名乗る輩も増えていった。

武蔵にとって、それは許すことができなかった。

自分の名前に便乗して、偉ぶることに。

それからというもの、大剣豪に勝負を挑むと同時に、偽物退治にも乗り出した。

ある日、偽物の武蔵と勝負をし、間一髪の差で勝負に勝った。

それは、武蔵にとってあまりにも衝撃的だった。

彼は、言ってみれば、世間ではとても優秀な剣豪だったから。

武蔵は疑問を抱いてしまった。

今知られている武蔵という名前は、もしかしたら彼が作り出したのではないか、という。

考えてみれば、自分が武蔵ということを証明するものは、一切持っていなかった。

名前を名乗ることしか、自分が武蔵であることを伝えることができなかった。

そんな思いは、巌流島で佐々木小次郎を破っても、武蔵が天下無双の剣豪と知られてからも、心の中でずっとくすぶり続けた。

ある日、偶然沢庵という高名な僧侶と再開した。

武蔵が何かあるたびに出会う僧侶である。

彼に今の思いを打ち明けた。

すると、沢庵は、

「自分の名前を名前を証明するものが欲しいだと。武蔵、お前は自分という言葉を知ってるか?自らを分けることが自分なんだ。今持っているものを他のものに分け与えてこそ、自分というものを明らかにすることができるのではないだろうか」

といった。

沢庵の言葉を聞いた武蔵の顔はみるみる変わっていった。

そして、熊本市近郊の金峰山にある霊巌洞にこもり「五輪書」というものを書き上げた。

五輪書の中に、武蔵は自分の生い立ち、独自の兵法、戦いへの心構え、そして他の人の兵法など、武蔵が常日頃から考えたもの、すべてをそこに記した。

たちまち、武蔵という人物が世をにぎわせ、400年過ぎた現代の時代まで、名を語り継がれるようになった。

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ところで、あなたは自分を証明するものを持っていますか?