童謡の歌詞の勘違いはよくある様です。特に、幼い頃に耳で聴いて覚えた歌は、意味をよく理解せぬまま覚えるので、勘違いが起こりやすくなる様です。例えば、「どんぐりころころ ”どんぶりこ ”(水に勢いよく落ちる音) お池にはまって さあ大変」を「どんぐりころころ ”どんぐりこ”」と間違えて歌っている人がよくおられます。
「故郷」の2番は「如何にいます父母 ” 恙(つつが)無しや " ”友垣(ともがき)”」ですが、健康で無事を意味する恙無しや と 友垣は文語なので難しくて理解出来ず、故郷の果物の事を言っており、”つつが梨” や ”友柿” なのだろうと勘違いされている人もおられる様です。私もその内の一人でした。
テレビアニメ巨人の星は、主人公の星飛雄馬が重そうなローラーを引っ張ってグランド整備をしているシーンが最初に出て来て始まり、「思い込んだら 試練の道を 行くが男のど根性」のテーマソングが流れました。そのシーンを観た多くの人は、「思い ”込んだら”」を「重い ”コンダラ”」と理解し、グランド整備用のローラーの事を ”コンダラ” と言うのだと誤解していました。
童謡で一番人気のある歌は三木露風の「赤とんぼ」ですが、この歌の一番の歌詞「夕焼け小焼けの赤とんぼ ” 負われてみた ” のはいつの日か」も多くの人に、「” 追われてみた ” のはいつの日か」と誤解されています。歌詞では主語が省略されているので、誤解者は子供の時の三木露風が姉やの背に ” 負われている ” のではなく、赤とんぼを主語にして、赤とんぼが子供達に ” 追われている " 姿を思い浮かべています。
童謡は子供の歌なので意味の分かり易い口語で書けばよいのですが、格調を重んじようとするせいか、文語で書かれる事がよくあります。その時、歌詞の誤解が起こります。浦島太郎の4番は「帰って見れば ” こは如何に ” 元居た家も村も無く・・・・」となっていますが、” これはどうした事か ” の文語 ” こは如何に” は子供には理解しにくいため 、竜宮の海の話なので、それを ” 恐い蟹 ” と誤解する子供が多い様です。
1969年にフランス語の「Aux Champ-Elysee(オー シャンゼリゼ)」と言う歌が作られ、日本語に翻訳された「オー・シャンゼリゼ」が出され、相良直美が紅白歌合戦で歌いました。Aux(オと発音)は英語で言うと At the(〜で、〜に於て)の意味になります。従って日本語に訳すると「シャンゼリゼにて」となりますが、翻訳者はAux をOh の感嘆詞にして「オー・シャンゼリゼ」の日本語訳の歌が生まれました。従って、この訳は訳者の誤解ではなく良く売れる様にするための工夫訳となっています。
「故郷」の2番は「如何にいます父母 ” 恙(つつが)無しや " ”友垣(ともがき)”」ですが、健康で無事を意味する恙無しや と 友垣は文語なので難しくて理解出来ず、故郷の果物の事を言っており、”つつが梨” や ”友柿” なのだろうと勘違いされている人もおられる様です。私もその内の一人でした。
テレビアニメ巨人の星は、主人公の星飛雄馬が重そうなローラーを引っ張ってグランド整備をしているシーンが最初に出て来て始まり、「思い込んだら 試練の道を 行くが男のど根性」のテーマソングが流れました。そのシーンを観た多くの人は、「思い ”込んだら”」を「重い ”コンダラ”」と理解し、グランド整備用のローラーの事を ”コンダラ” と言うのだと誤解していました。
童謡で一番人気のある歌は三木露風の「赤とんぼ」ですが、この歌の一番の歌詞「夕焼け小焼けの赤とんぼ ” 負われてみた ” のはいつの日か」も多くの人に、「” 追われてみた ” のはいつの日か」と誤解されています。歌詞では主語が省略されているので、誤解者は子供の時の三木露風が姉やの背に ” 負われている ” のではなく、赤とんぼを主語にして、赤とんぼが子供達に ” 追われている " 姿を思い浮かべています。
童謡は子供の歌なので意味の分かり易い口語で書けばよいのですが、格調を重んじようとするせいか、文語で書かれる事がよくあります。その時、歌詞の誤解が起こります。浦島太郎の4番は「帰って見れば ” こは如何に ” 元居た家も村も無く・・・・」となっていますが、” これはどうした事か ” の文語 ” こは如何に” は子供には理解しにくいため 、竜宮の海の話なので、それを ” 恐い蟹 ” と誤解する子供が多い様です。
1969年にフランス語の「Aux Champ-Elysee(オー シャンゼリゼ)」と言う歌が作られ、日本語に翻訳された「オー・シャンゼリゼ」が出され、相良直美が紅白歌合戦で歌いました。Aux(オと発音)は英語で言うと At the(〜で、〜に於て)の意味になります。従って日本語に訳すると「シャンゼリゼにて」となりますが、翻訳者はAux をOh の感嘆詞にして「オー・シャンゼリゼ」の日本語訳の歌が生まれました。従って、この訳は訳者の誤解ではなく良く売れる様にするための工夫訳となっています。