先月の日経新聞に上杉鷹山の名言「なせば成る成さねばならぬ何事も成らぬは人の成さぬなりけり」の話と彼の功績が出ていました。この言葉は小学4年生の時に先生が教えてくれ、実行力の大切さを学びました。日経の記事を読んだ時、沈滞した今の日本をよくするにはこの教えに学ばねばならないと痛感しました。
上杉家は上杉謙信亡き後、徳川家康を抑えるため豊臣秀吉によって会津120万石と佐渡金山を与えられ、裕福な大国になりました。しかし、上杉家は関ケ原の戦いでは西軍について敗れたため、米沢30万石に減封されてしまいました。ところが敗戦後も昔のままの体制を維持しようとしたため財政は大赤字となり、直江兼続が支出削減や新田開発で何とか財政を再建させました。しかし後継者達は放漫藩政を行い、上杉鷹山が17歳で藩主となった時、米沢藩は藩年収の5~6年分となる20万両(200億円)もの借金を抱え、利息返済の出来ない財政破綻状態でした。
藩主となった鷹山は垂範率先で節約を実行しました。江戸藩邸での藩主の生活費を七分の二とし、食事は一汁一菜、普段着は木綿、奥女中は50人から9人に減らしました。鷹山は徹底した節約を行うだけでなく農業開発を行い収穫高を増大させ、養蚕による絹織物、岩塩での製塩、製紙、製陶等の殖産興業を興して米沢藩を豊かな藩にしました。教育の振興にも力を入れ、藩校(興譲館)を再興して身分を問わずに学べるようにして人材を育てました。福利厚生では出生手当金や養育手当金を制度化するだけでなく、敬老会を開き長寿の老人を家の誇りする風潮を醸成しました。
ケネディーが米国大統領になった時、日本の新聞記者が「日本で最も尊敬する政治家は誰ですか」と質問をしたら、ケネディーは「上杉鷹山です」と答えたそうです。明治の思想家、内村鑑三は日本の精神の深さを世界に知らしめるため「代表的日本人」を英語出版しましたが、この中の一人に上杉鷹山が取り上げられていたので、それを読んだケネディーは学ぶ所が多く、彼を評価したのだろうと思われます。2013年にケネディーの娘であるキャロライン・ケネディーが駐日大使として来日し、就任パーティーで「父は18世紀の東北地方の大名で優れた統治力と公益のために献身した事で名高い上杉鷹山を敬愛していました」とスピーチしています。
日本は国家予算が113兆円(収入78兆円+公債35兆円)で、借金(国債等)が1318兆円もある放漫経営国となっています。これを打破するには質素倹約と農業振興、殖産振興、教育振興で実績を上げた上杉鷹山をしっかり学ばねばならないと思います。
上杉家は上杉謙信亡き後、徳川家康を抑えるため豊臣秀吉によって会津120万石と佐渡金山を与えられ、裕福な大国になりました。しかし、上杉家は関ケ原の戦いでは西軍について敗れたため、米沢30万石に減封されてしまいました。ところが敗戦後も昔のままの体制を維持しようとしたため財政は大赤字となり、直江兼続が支出削減や新田開発で何とか財政を再建させました。しかし後継者達は放漫藩政を行い、上杉鷹山が17歳で藩主となった時、米沢藩は藩年収の5~6年分となる20万両(200億円)もの借金を抱え、利息返済の出来ない財政破綻状態でした。
藩主となった鷹山は垂範率先で節約を実行しました。江戸藩邸での藩主の生活費を七分の二とし、食事は一汁一菜、普段着は木綿、奥女中は50人から9人に減らしました。鷹山は徹底した節約を行うだけでなく農業開発を行い収穫高を増大させ、養蚕による絹織物、岩塩での製塩、製紙、製陶等の殖産興業を興して米沢藩を豊かな藩にしました。教育の振興にも力を入れ、藩校(興譲館)を再興して身分を問わずに学べるようにして人材を育てました。福利厚生では出生手当金や養育手当金を制度化するだけでなく、敬老会を開き長寿の老人を家の誇りする風潮を醸成しました。
ケネディーが米国大統領になった時、日本の新聞記者が「日本で最も尊敬する政治家は誰ですか」と質問をしたら、ケネディーは「上杉鷹山です」と答えたそうです。明治の思想家、内村鑑三は日本の精神の深さを世界に知らしめるため「代表的日本人」を英語出版しましたが、この中の一人に上杉鷹山が取り上げられていたので、それを読んだケネディーは学ぶ所が多く、彼を評価したのだろうと思われます。2013年にケネディーの娘であるキャロライン・ケネディーが駐日大使として来日し、就任パーティーで「父は18世紀の東北地方の大名で優れた統治力と公益のために献身した事で名高い上杉鷹山を敬愛していました」とスピーチしています。
日本は国家予算が113兆円(収入78兆円+公債35兆円)で、借金(国債等)が1318兆円もある放漫経営国となっています。これを打破するには質素倹約と農業振興、殖産振興、教育振興で実績を上げた上杉鷹山をしっかり学ばねばならないと思います。