1月13日に日向灘を震源地とする最大震度5弱の地震が発生しました。この時、気象庁は南海トラフ地震発生の可能性は高まってないと発表しましたが、日本は地震国で、いつ何処で地震が発生するか分からない不安を抱えています。その地震の私の思い出話を書いてみました。
姫路の北約30キロにある山崎断層で、1984年5月30日午前9時40分に、マグニチュード5.6の地震が発生しました。この時、私は会社の事務所でかなりの揺れを感じました。帰宅すると、家内が被害は特になかった事を教えてくれました。そして家の庭先で遊んでいた4歳の次女の話をしてくれました。突然庭が揺れ出した時、次女は怯えた顔で家内に向かって「博子ちゃん、何も悪い事してないのに」と言ったそうです。地震の揺れが神様の罰か何かにより起こったと子供心で思ったのだろうと思います。
阪神淡路大震災は1995年1月17日の早朝5時46分におきました。私は姫路の自宅で寝ていて、バイブレーターの上に乗せられた様な激しい揺れを感じました。TVのニュースを観て神戸が被災した事が分かり、神戸の姉にすぐ電話をしたのですが、通じませんでした。ニュース映像は地上で撮ったものではなく、上空からの航空映像だったので地震損壊のひどさは分かりませんでした。大した事はないのだろうと思って出社しました。しかし昼過ぎに、姉の家は倒壊し姉は無事だったが義兄は亡くなった事が分かり、定時後すぐ帰宅して神戸に行きました。パリ駐在員時代にアテンドをした本社の常務に、会食時の雑談で「地震があると道路が寸断されるので車はダメ。バイクなら何とかなる」と教えてもらっていた事を思い出し、バイクで神戸に行きました。これは大正解で、5時間もかかりましたが、深夜に神戸に何とかたどり着けました。この時、義兄が亡くなっていたのでバイクに喪服を積んで行きました。現地は葬儀どころではなく修羅場となっていました。バイクに積むべき物は、皆に配って食べてもらうコンビニで買い集めた握り飯でした。
姉の家は戦後間なしに建てられた二階建ての木造家屋だったので、耐震性が無く倒壊していました。しかし鉄筋三階建ての隣家はビクともしていませんでした。翌日、神戸の被災家屋状況を見て廻ると、鉄筋建築だけでなく新建築基準法によって建てられたと思われる木造家屋も地震への耐振力がある事がよく分かりました
この体験は広島勤務時代に役立ちました。2001年4月6日に芸予地震があった時、広島の事務所に居ましたが、事務所が大きく揺れて、事務所の皆は恐怖感で表情がこわ張り悲鳴声も上がりました。しかし私だけは平然としていました。事務所は鉄筋ビルだったので絶対に倒壊しない事を知っていて、落下物や横転物に注意さえすれば安全だと分かっていたからです。
姫路の北約30キロにある山崎断層で、1984年5月30日午前9時40分に、マグニチュード5.6の地震が発生しました。この時、私は会社の事務所でかなりの揺れを感じました。帰宅すると、家内が被害は特になかった事を教えてくれました。そして家の庭先で遊んでいた4歳の次女の話をしてくれました。突然庭が揺れ出した時、次女は怯えた顔で家内に向かって「博子ちゃん、何も悪い事してないのに」と言ったそうです。地震の揺れが神様の罰か何かにより起こったと子供心で思ったのだろうと思います。
阪神淡路大震災は1995年1月17日の早朝5時46分におきました。私は姫路の自宅で寝ていて、バイブレーターの上に乗せられた様な激しい揺れを感じました。TVのニュースを観て神戸が被災した事が分かり、神戸の姉にすぐ電話をしたのですが、通じませんでした。ニュース映像は地上で撮ったものではなく、上空からの航空映像だったので地震損壊のひどさは分かりませんでした。大した事はないのだろうと思って出社しました。しかし昼過ぎに、姉の家は倒壊し姉は無事だったが義兄は亡くなった事が分かり、定時後すぐ帰宅して神戸に行きました。パリ駐在員時代にアテンドをした本社の常務に、会食時の雑談で「地震があると道路が寸断されるので車はダメ。バイクなら何とかなる」と教えてもらっていた事を思い出し、バイクで神戸に行きました。これは大正解で、5時間もかかりましたが、深夜に神戸に何とかたどり着けました。この時、義兄が亡くなっていたのでバイクに喪服を積んで行きました。現地は葬儀どころではなく修羅場となっていました。バイクに積むべき物は、皆に配って食べてもらうコンビニで買い集めた握り飯でした。
姉の家は戦後間なしに建てられた二階建ての木造家屋だったので、耐震性が無く倒壊していました。しかし鉄筋三階建ての隣家はビクともしていませんでした。翌日、神戸の被災家屋状況を見て廻ると、鉄筋建築だけでなく新建築基準法によって建てられたと思われる木造家屋も地震への耐振力がある事がよく分かりました
この体験は広島勤務時代に役立ちました。2001年4月6日に芸予地震があった時、広島の事務所に居ましたが、事務所が大きく揺れて、事務所の皆は恐怖感で表情がこわ張り悲鳴声も上がりました。しかし私だけは平然としていました。事務所は鉄筋ビルだったので絶対に倒壊しない事を知っていて、落下物や横転物に注意さえすれば安全だと分かっていたからです。