この小説は、題名の通り、ブエンディア家の何代にもわたる、栄枯盛衰ある百年の物語である。

この作品では、アウレリャノ、あるかディオのように同じような名前が度々出現するので家系図を何度も見返して読む必要があった。

しかしこの名前こそが登場人物の人となりを形成している要素であり、例えば、アウレリャノは革命や勉学に導かれているように思える。

ブレンテイア家の最初はマコンドという村を設立するところから始まり、子供が生まれる度に、登場する人物が変わるため、主人公という概念があまり感じられない。

この作品の骨子となる部分は、人は過ちを繰り返すことであると思う。

豚のしっぽが生えた子供が生まれることを100年も前に警告されていたにもかかわらず、月日が経つにつれて、あやふやなことになり、過去の失敗を再びしてしまうブエンディア家の愚かさが如実に描かれていた。

連続的である個人の人生であっても過去の過ちを繰り返すものであるが、一族という、非連続的なことであれば、より繰り返す傾向が考えられる。

これは国家に対しても言えるのではないだろうか。

戦争という過ちを後世にあやふやに伝えてしまうと、また未来では同じ過ちを繰り返すことになる。

歴史を学ぶことの重要性を痛感できた。