また

左側の

『木津村』は

今はありませんが


『敷津』という

地名が

どうも

それっぽいかと・・


『木津』

「きづ」

「しきづ」

『敷津』


といった感じ?




『伊達軍』の

場所は


『茶臼山』=『家康の陣』の

正面で


『生玉祠』の

下あたりだったかと・・


今は

寺町の

大きな道路に

なってます


前田利常は

伊達さんの

並び


真横&

真田丸の下


同時に

前田さんの位置から


味原池と篠山の

見当を

つけておきます



池は

江戸時代の

名所図会などに

「産湯稲荷の上」と

あるようなので


マップで

「産湯清水」をチェックし

書き込み




さて

肝心の

『真田丸』ですが


上の「堀」から

地図に描いていきました


まず

右の『平野川』と

現在、駅前の

四つ角にある

石橋の跡などから


黒門口の見当を



つづいて


『安堂寺橋』

『松屋町口』から

左の入り口を

ほぼ確定


この二点を

つないで

『堀』にします


ちょうど

現在の地名で

右に『空掘町』

左に『南空堀町』

というのがありまして


(『南空堀町』は

昭和57年に

現在の『谷町六丁目』に・・)


これが

『堀』推定場所に

重なりそうです


また


空掘あとや

「空掘ど~り商店街」を

歩いているサイトさんの

写真などを

参考にしました


また

道一本では

『堀』にしては

細いかな?

と思い


図では

少し太めに・・



そして

この『堀』と


「八丁目東寺町」と

「小橋寺町」の間


『真田丸』を描きこんで

完成です