先日、小石川の浮世絵博物館 に行ってきました

「開けば開くほど赤字」で有名なお宅です

コアな常連さんが多いようです


別の用事で降りた駅で、偶然ポスターを見つけて

「お?浮世絵かあ」

と予定を変えて訪ねたのですが、行ってよかったです


メインの展示は、芳年さんの「月百姿」の前期でした


去年も、こちらではこのシリーズを特集していて

ブログを見ると、太田美術館でもやっていたそうです

結構、人気があるのかな?


30ぐらいの作品を見て

会場にいた方に、解説をしていただきました

「正面刷り」「キラ」などの技術や、主人公について

丁寧に教えてくださいました

○らさんにも、お話をうかがえて、楽しかったです


「月百姿」は、どれも、とても、きれいな絵で

芳年さんの若い頃のシリーズとは、別人のような作風でした


線があっさりして、とても見やすく、しかも構図に凝っていてビックリ


モチーフは、江戸以前の有名なお芝居やお話の主人公で

中国の話もありました


義経とか孫悟空は、わかったのですが

知らないキャラも結構いて

係の方も「館長が、これは(モチーフが)わからないと言ってました」

という作品が結構ありました


ナカでも、二つばかり

「これは、帰ったら調べてみなくては・・」

と興味を持った絵がありました


一つはこれ

琵琶を抱いた女性が、舟から水面に映る月を見て嘆いているもの


絵の四角の中の文字は歌で

「はかなしや 波の下にも入ぬべし つきの都の人や 見るとて 有子」
と書かれています


これは誰なのか、まず疑問でしたが

検索すると、簡単に出てきました


「有子」=有子内侍

内侍は、ふつうの宮廷に仕える娘ではなく、ここでは厳島の巫女


平安時代、徳大寺左大将実定卿(定家のイトコ)が、中々出世できなかった

行き詰まった彼は、和歌に打ち込み、厳島を訪れました


その時の、いきさつは、宮島の「内侍岩」に言い伝えとして

今も残っています


「内侍岩を詳しく紹介しているページ」


その後、都に戻ってしまった定家を追っていこうとしたが

無理な恋だと悟り、好きな琵琶を手に、歌を詠んで、入水していまいます


この絵は、その場面だったのです



また、この話は「源平盛衰記」が元のようです

こちらの「左右大将事」「有子入水事」を読むと

更に詳しく、わかります


定家が、厳島を訪れた理由

その顛末

有子が、別れの時、どうしたか、どう扱われたか

そして、定家のために何をしたか


こうまで話が進んで、何も入水しなくても・・と思うのですが
昔から、日本人には、悲しい結末のほうが、ウケるのでしょう

実際、こうやって絵になってますものね


「源平盛衰記」の説明が読めるサイト

原文「源平盛衰記」(国民文庫)

・巻第三 0056~

「バージニア大」内のページ

・フリガナな振ってあって、読みやすいです


【オマケ】
よく、比較される「平家物語」にも

実定が厳島詣をするエピソードは出てきます


巻二「徳大寺之沙汰」あるいは「徳大寺厳島詣」です


ここで、実定は「源平・・」と同じように

友人の勧めによって、厳島へ七日の参詣をする

内侍たちと仲良くなり、七日後、都へ帰る


しかし、「源平」と違うのは、仲良くなり

都へついていって、清盛に会うのが、「有子」一人ではなく

「大勢の内侍たち」という点です


つまり、特定の娘が恋に落ちて、都へついていき

その後、入水するエピソードはないのです





さて、もうひとつはこちら


旅人らしき老人が、二人の男と、何か話しています


四角の中には、後半が読みにくいのですが

「三日月の頃より待し今宵哉 翁」

と書かれているそうです


さて、この右の老人

多くのサイトで「松尾芭蕉」と書かれています


そして、「教えて○○」系のサイトで

この「三日月の・・」の歌について、質問が寄せられています


どうやら、これは


さえない老人が

満月を見て「三日月の」と始めておいて、男達の失笑を買い

後半で「そこまで考えてのことか!」と驚かせ

更に、有名な「○○」だと正体をバラして、トドメヲさす


といったエピソードなのですが


「芭蕉と一茶、どちらも聞いたことがあるが、正解は?」

というものです


まず、名前のヒントは「翁」ですが

「一茶翁」よりも「芭蕉翁」のほうが一般的です


そこで、調べたところ

芭蕉の一生の間に詠んだ句の中には、この歌はありませんでした


一茶の一生に詠んだ句は、調べられず


う~む


色々、検索してみて、ようやく見つけました


福島の歴史資料館にある、資料の紹介ページです


ここでは、芭蕉の逸話が、上とまったく同じパターンで書かれている

とあります


しかも、この話は

「俗伝の類にすぎず、芭蕉の伝記としての史料的な価値は皆無である」

と言い切っています


その理由は、これを紹介している「松亭漫筆」という幕末の本に

「珍からぬ話説」であり、「『古今著聞集』にも同様の説話が見られ」


つまり「珍しからぬ=よく知られた話」であり

「鎌倉時代の本に、よく似た話が載っている」

と、元ネタまで明かしている


「『福島県歴史資料館』保管資料情報 第6号」


そして、ここに載っている図を見てビックリしました

明らかに、芳年の「三日月の」図とソックリなのです


元図は、老人の後ろには少年がついており

男達は四人描かれています

また、お重はなく、茶碗などはヒビ割れています


ススキは、竹の花器などはなく、地面のススキが

あるだけです


この右半分、左半分をカットして、構図を参考にしたのですね





参考リンク

うぃきぺでぃあ (月岡芳年)

国際フォークアート博物館 (英語)

・三つに分類して、全作品が閲覧可


ほかにも、色々なサイトで、閲覧できます

刷りがまったく違うので、比べると面白いです

表紙や、一覧がついたものもありました