「寛永江戸図」とも呼ばれ、幾つものコピーが現存する。
字が上手いもの、下手なもの、虫食いが多いもの、カラーのもの、
白黒のもの、緑の描写が雑なもの、細かいもの、などなど。
「寛永九年(1632年)」版が一番古いとするサイトもあるが、
もっと古い、「元和六年(1620年)」版というのもある。
また、「江戸京都絵図屏風」は、「寛永江戸図」にそっくり。
隅田川から先が、少し描かれている点が、違うくらいだ。
「慶安年間(1650年代)の江戸が描かれている」
「数年後には、明暦の大火で江戸城天守閣は消失」と説明。
この屏風絵は、書籍で見たが、
ネット上に、この名では見つからなかった。
さて、間違い探し。
「寛永江戸図」には、三つ、現在の東京や、幕末の古地図と、
大きな違いがある。
ヒント「橋」
江戸古地図の橋は、何回も燃えたり、立て直したりを繰り返しているので、
名前も変わっているものが多く、地図によって違うことが、ままある。
また、原本の写し間違いと、思われるものもある。
が、これほど有名な、三つの橋が、ハッキリ違っているのは珍しい。
「○橋」「○○橋」「○○橋」
現在は、これに「○○橋」が加わって、四角形を成しているが、
四つ目の橋は、当図には「あら川口」と書かれている。
ネット上に、橋の名前まで見える図が公開されている。
さて・・