江戸時代は、橋は無かったようですがお堂はあったようで。
このお堂の屋根から隅田川越しの対岸を描いたのが「駒形堂吾嬬(妻)橋」 。
「江戸百」第七シリーズ五枚のうちの一枚。(1857年1月作)
(この絵と、対岸から見た名所絵が、プレートになって橋のどこかにあります。)
この絵に「駒形堂」は、下の隅にチラと見えるだけ。
メインは空に浮かぶ「鷲」ですか?
この「鷲」、実は「江戸百」に、もう一枚、出演しています。
それはまた。
しかし、この「駒形堂」、江戸の古地図で見つけるのが一苦労。
(「吾妻橋」から「駒形堂」への道)
「駒形堂吾嬬橋」のタイトルにある、「駒形堂」と「吾妻橋」は、ごく目と鼻の先。
なのに、浅草寺や吉原を中心とした地図「今戸箕輪浅草」 には、タイトルに隠れて載っていません。
(「大川橋、長サ七十八間、東橋ト云」の下のほうです)
その下に続く「東都浅草」 には、なにやら小さな赤い四角で描かれています。
(「一:駒形どじょう」のすぐ上です)
最大まで拡大してみると、よくまあ書いたなあ、と感心するくらい小さな字で「駒形堂」と書かれています。
(最初にリンクしたグーグルマップで、最大拡大しても、お堂の名前は出ないくらい小さいんですけどね)
それでは、と・・川を渡ってみましょう。
「本所絵図」 の左側、あ・・あります、あります!!
なんと、真っ白な向こう岸に、「駒形堂」が絵入りで描かれています。
まったく、有名なんだか、そうでないんだか・・。
今では、きれいに建て直した本堂があります。
「浅草寺の本尊が上陸した地」との碑もあります。
立派な橋もかかりました。
(「駒形橋」から見た「吾妻橋」・・右端に光るのが、有名な金の雲です)
さて、この「駒形堂」、今回は仙台藩と関係無いのか?と言われますと、無きにしも非ず。
実は、綱宗さんが高尾から贈られた歌に詠まれているのです。
そう、「伊達騒動」で蟄居させられた三代目綱宗です。
「いふしは、波の上の御かいらせ
屋形の首尾は、如何おはしまし、候や
忘れねばこそ、思いださず、候かしく
君は今、駒形あたり、ほととぎす」
「屋形の首尾」は「首尾の松」を連想させますね。
「ほととぎす」は「不如帰」でしょうか。
高尾は、お話では綱宗になびかず、斬られたことになっています。
汐留の上屋敷から舟で吉原に通う綱宗へ、「早く、お帰りになったほうが」と訴えているのでしょうか。
その割に「忘れねばこそ・・」つまり、「私はあなたを忘れることが無いから、思い出しませんよ」
う~ん、「決して忘れない」は、「好き」の意味のようですが、この後の「思い出しません」はビミョーですね。
なんせ、斬られちゃうのは、同じ隅田川の「三叉」のあたりですから。
しかし、綱宗と高尾の話自体、芝居が有名にしたもの。
この歌も、少々できすぎです。
果たして、誰が書いたものやら・・。
あ、さっきの「首尾の松」も、この「三叉」も、「江戸百」に描かれています。
隅田川の周りだけで、20以上も描いているんですね。
モデルにしやすかったのでしょうか。

