http://map.goo.ne.jp/history/map.php?st=100&kr=8

「goo地図」の「古地図(江戸切り絵図)」というサービスがある。

これは、現代の場所と、江戸時代末を比較するのに重宝する。


リンク先は「芝口南西久保愛宕下之図」。


ここには、仙台藩の「上屋敷」「中屋敷」がある。

それぞれ「汐留日テレ」と、「JRを挟んだ新橋5~6丁目」にあたる。

その他に、「伊達騒動」と関わりの深い場所がもう一つ。


「飯倉神明宮」の少し左に「良源院」という寺が見える。

よほど拡大しないと判らないくらい小さな寺だ。


現在の「港区役所」の辺り。

ここに、「浅岡飯たきの井」という井戸の跡がある。

以前は、旧庁舎の中庭にあったとか、検索すると、色々出てくる。




「亀千代の命を狙われる事を恐れた浅岡の局が、この水で調理した・・と言い伝えられる」

と、写真の由来にある。


「言い伝え」か。

日本の史跡の多くがそうであるように、「母が煮炊き」も、「後から作った話」かもしれない。


井戸はあったのだろうが。



「樅ノ木は残った」には、「藩主には、その井戸の水だけしか使わなかった」

「定まった足軽がいて」とある。

(飯を炊くだけでなく「飲料にも」ともある)


なるほど。

由来に、付け足すと・・


元々、この井戸は「藩主専用の井戸」であった。

綱宗の代までは、係りの足軽が、毎日この水をくんで、当主の用にあてていた。

しかし、もはや足軽さえも信用できず、母みずから、藩主専用井戸から水をくみ、煮炊き、飲み水に使った。


といった所か。


「綱村は、毒を盛られた」という話も、残っている。

今放送中の、「篤姫」といい、自分の都合で他人に毒を盛るのって、よくあったのか?

「今の人は自己中で、おかしい」って言う人は、間違えてるな。

昔からだ。

もう一つ。


リンク先の古地図を見た感想。

この「良源院」は、「増上寺参詣の折などに使われていた」仙台藩主の「宿坊」にしては、狭いような・・。