名古屋城を観光することができた。
当日の朝、1時間ほど余裕があることに閃き
電車ではなく、タクシーで向かった。
名古屋城は、関ヶ原の戦いから、豊臣家が滅亡するまでの間に
徳川家康が築城した。
主に、西国大名の力を削ぎ落しておくための天下普請。
動員された工事関係者は、当時で560万人を数えたそうです。
今の北海道の全人口と同等人数という規模に驚き。
徳川家康の功績
後の国内、260年間という
途方もない歳月に渡り、国内を安定させ、平和を維持させた。
世界史でも、この平和の期間、長さは、最優秀に近い。
家康自身という強いリーダーが、この世を去った後も、、
という意味が大きい。
その江戸時代の完璧な仕組み。
力のある外様大名(関ヶ原で敵だった武将)は、禄を与え、政には加えない。
江戸から遠ざける。
逆に、譜代大名(徳川家に仕え続けた武将)は、禄は少なく、政の中心に配置。
江戸の周辺エリアを固める。
忠義厚い、徳川家武将に対し
才あるものに、贅沢をさせてはいけない。
贅沢は、いつか必ず、努力に背を向け、驕りを生み、家を潰す。
才あるものは、禄高(給料)よりも
遊行を慎み、この世にとって肝心なことを
見極め、自らを磨き続けていくこと。
家康の平和への仕組みとは
このような考えこそが
基本だったのでしょうか。