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 「墓参りさいがんにぐて、ごめんない・・・。そのうぢ、いぐがらない」
 (墓参りに行けなくて、ごめんね・・・。そのうち、行くのでね)

 

 

 仕事やら台風やらでどたばたしているうちに、月が変わろうとしている。岩手・岩泉のグループホームの入居者が台風による被害で9名も亡くなったのは、本当に痛ましい。しかしながら、自分がもしそこのスタッフだったとしたら・・・と思うと、認知症が重度の利用者だったとしたら1名2名でも救えたかとは決して思えない。

 

 

 

 8月26日が、過ぎてしまった。異国で、凶弾に倒れた元同僚Iさんの命日だ。なぜ彼だったのだろう、と今もなお思う。当時私は、開拓予定地ガンべリ沙漠を測量助手のアフガン人の少年と2人だけで測量して、ウロウロしていた。米軍が、ヘリで沙漠を低空飛行し撃たれるかと思ったこともあった。あのとき、パイロットは笑っていた気がする。

 

 

 

 沙漠で少年と行動していた自分は、誘拐するにはうってつけだったはずだ。実際日本人スタッフが誘拐されたと聴いて、測量していたdatechibuか・・・という声もでた、と後から聴いた。しかし、犯人たちは沙漠からでなく山から現れ、Iさんを連れて行って、そして銃撃戦になりIさんは帰らぬ人になった。

 

 

 

 ・・・亡くなったのがIさんでなく自分だったとしたら、と考えることが無意味なのはわかる。しかし、未だに考え続けている。

 

 

 

 この夏の7月には、放置プレイも甚だしい拙ブログに毎回丁寧なコメントくださっていた熊本の方が、闘病のさなか急逝された。Iさんの写真展や、関連のNGO代表の講演会などにも、足を運んでくださっていた。

 

 

 

 逝かれた多くの命を思い祈りつつ、残されたご家族の悲しみは薄れはすれでも決しては癒えないものだと感じている。自分の無力さと薄情さに呆れつつ、新たに翌年に生まれてくる命に思いを馳せる。

 

 

 

 生きているかたに良い秋が、亡くなったかたにやすらかな眠りが来ますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 写真は、火を吐く龍に見えた空。