【自分軸で自分らしく生きる先生 応援通心】②
~自分を大切にする教育から
他人(ひと)を大切にする社会を創る~
Facebookグループ「共育の杜」が主催する《エンパワメント》で
毎週金曜日、メルマガを執筆させていただくことになりました。
学校と病院の“間”に必要な〇〇とは?
ある日ふと、妻に聞いてみたことがある。
「そういえばさぁ、どうしてあなたは、教師になったんだっけ?」
出逢って20年になるが、元教師の妻にその理由を、きちんと聞いたことはなかった。
すぐに答えは返ってきた。
「子どもが好きだからだよ」
それ以外に何があるの?というような表情だった。
「まあ、そうだよなぁ」とすんなりと納得した。
2人目の子どもの出産を機に退職した妻は
その後もリトミック講師として、ちっちゃな子どもたちと保護者と
それはそれは楽しそうに働いていた。
教師を辞めた今だって、子どもが好きな思いは
ずっと変わらないんだよね、しみじみと思った。
考えてみたら、いや、考えなくても、私もそうだった。
ずっと「子どもが好き」で教師になった。
教師1年目。
毎日、休み時間には、子どもたちと外で走り回ったり
ドッジボールをしたり、汗だくになって
子どもたちと教室に戻る。
共に汗を流した仲間同士として、心の距離がぐっと近くなっているのが
手に取るように分かる。あの感覚が好きだった。
「あぁ~、自分は教師になったんだなぁ~」そんな喜びを実感していた。
みなさんは、どうですか?
いろいろある職業の中から、どんな理由で教師を選んだのですか?
多くの先生たちも、きっと「子どものことが好き」という思いが
根底にあるのではないだろうか?
少なくとも、“きらい”な人は、そんなに多くはない気がしている。
「そんな当たり前のことをいまさら聞くな!」と言う心の声も聞こえてきそうだ。
だけど、そんな大切なことも、当たり前ではない時代になっているのかもしれない。
先日、2年目の先生からじっくり話を《聴い》た。
「小さい頃から、身体を動かすことと、子どもが大好きだったんです。
でも、1年目はしんどくて、外で遊ぶ暇も心のゆとりもありませんでした。
去年は、本当に苦しかったんです。」
かつての教え子が教師になり、我が家に遊びに来た時にも、こう話してくれた。
「今は、すごい楽しくて、充実してやってます。
でも、同期と集まってよく話すのは、ずっとこの仕事続けるのかなぁ、俺たち?って話題です。」
また、ある教師志望の大学生は
「確かに、子どもは大好きなんです。でも、チョット、先生になるかどうかは考えものです」と。
若手だけではなく、ベテランの先生は
「そりゃー俺だって、昔は子どもも好きだったし、よく一緒に遊んだよ。昔はよかったよ、もっとのびのびしてたしね。
今は、もう心も身体もボロボロだよ。これからの先生は、もっと大変になるだろうけど、がんばってほしいね」と。
「子どもが好き」という思いで飛び込んだ教育の世界。
そんな多くの心ある教師たちが、現場で苦しんでいる。
「子どもが好き」は原動力にはなっても、それを覆いつくすほどの多忙感と徒労感。
その原動力だけでは、残念ながら続かなくなっているのが現状。
がんばって、がんばり続けて、そしてがんばれなくなって、病院・・・そして、早期退職。
学校か病院か?の二者択一が迫られているような現場。あまりにも、残念な状況。
なんとかして、学校と病院の間に“余白”を生み出せないだろうか。
“時間的な余白”と“心の余白”を。
そして、この“余白”に《聴く》という文化を定着させたい。
学校と病院との間の柔らかいクッションのような役割として。
安心できる場で、《聴くー聴いてもらえる》関係性を築けることが
どれほど先生たちの気持ちを楽にするだろうか。
皮肉な話だけれど、現場を離れた今の方が、「先生たちの生の声」が聴こえてくる。
現役の時には、自分もギリギリだったから、
近くにいたギリギリな仲間たちの声を聴いてあげる“余白”がなかったのかもしれない。
先日、文科省から、全国の教員不足の調査結果が発表された。
2000人の不足の実態が明らかになった。
それを受けて、文部科学大臣は「調査結果は危機感をもって受け止めている」と発言したうえで
対応策として、「教職員の働き方改革を進め、教職の魅力向上に取り組む」とした。
私は、これ自体は、ありがたいメッセージとして、受け止めている。
ただ、“教師の魅力”は、もうすでに多くの人は、きっと分かっている。
「子どもが好き」このシンプルで本質的な理由が、最大の魅力の一つだということを。
教師の仕事は、商品ではないから、その魅力をどこかの誰かから説明されるのも、何か少し違う気もする。
むしろ、問題なのは、「子どもが好き」と思える気持ちを覆いつくすほどの
“多忙感と徒労感”にあるのではないだろうか。
そして、その“多忙感と徒労感”を先生個人の資質の問題として、とらえないでほしい。
文科省の「#教師のバトン」プロジェクトが、意図せぬ方向に進んでしまった大きな理由は
現場で働く先生たちの労働環境にふたをして
キラキラとした魅力だけを表面的に伝えさせようとした
(そう受け止められてしまった)ことにあるのではないだろうか。
これからの先行き不透明で変化の激しい社会
解決しなくてはならない教育課題は山ほどある。
でも、まずは“子どもを支える先生たちを支えること”
「子どもが好き」で始めた教師という仕事を「子どもが好き」なまま続け
まっとうできるような環境を整えること。今こそ、そこに焦点を当てて、真っ先に取り組んでいきたい。
教育現場に何としても、
「先生たちの生の心の声を《聴く》」時間と場=“余白”を生み出したい。
1日の中で、ほんの10分でもいい。
朝からずっと働き通しの先生たちの、その手と頭をいったん止めて
心と身体の発する声を《聴く》、そんな“余白”を。
きっと、心のモヤモヤや身体の違和感など、何かしらのメッセージを送ってくれているはずだから。
そして、「今日も1日、ほんとうに、よくがんばったなぁ、自分」と労ってあげてほしい。
まずは、せめて、自分だけでもできることから。
先生、“どうか、ご自分を大切に”してください。
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