大分県大分市のJR大分駅前に建てられている【フランシスコ・ザビエルの銅像】です

銅像の台座部分に碑文が掲載されているので確認して行きましょう✨

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1506年、イベリア半島のナバラ王国サビエル城(現スペイン)で生まれました。
イエズス会創設のメンバーの一人であり、アジア各地でキリスト教を広める中、日本での布教を決意します。
1549年8月、鹿児島に上陸し、その後、平戸、山口、境をへて京都に赴きますが、京都では思うように布教活動ができず、再び山口へ戻ります。
1551年9月、大友義鎮(宗麟)公の招きにより豊後府内(現大分市)を訪れ、領内でのキリスト教布教の許可を得ます。

ザビエルは府内に2ヶ月滞在し日本を離れますが、これ以降、府内は日本におけるキリスト教布教拠点となり、ポルトガル商船や中国船が来航し、南蛮貿易が活発に行われました。
その結果、府内は全国に先駆けて南蛮文化が目覚しく開花し、東洋と西洋の文化が交わる国際貿易都市として繁栄しました。
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大友宗麟に招かれ、府内(大分)の地でキリスト教の布教に努めたフランシスコ・ザビエル

大友宗麟とフランシスコ・ザビエルの銅像が建つ大分駅北口駅前広場には、南蛮世界地図を配した直径約11mの弊社製作の床陶板が設置されています

この地図は、16世紀に作られたもので、現在の九州にBungo(豊後)という文字が記されており、当時、豊後を拠点に大きな勢力を持っていた大友宗麟公(1530-1587)の積極的な外交姿勢や繁栄の情報がヨーロッパに伝わり、表記されたと考えられています
このような歴史的事実を踏まえ、大分市は、市制執行100年を記念し、平成25年8月10日【南蛮文化発祥都市宣言】を発表

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私たちのまち大分市は、戦国時代の終わりごろ日本を代表する国際色豊かな貿易都市として繁栄しました。
九州の雄「大友宗麟公」は、聖フランシスコ・ザビエル神父を豊後府内に招き、海外との貿易を積極的に進めました。
府内のまちは海外の品々が溢れ、異国の人々が行き交い、西洋の医学や天文学、音楽、演劇をはじめとする南蛮文化がいち早く花開きました。
今日は地方の時代といわれ、きびしい都市間競争のなか、自らの住む地域の歴史や文化を活かした個性と特色あるまちづくりが求められています。
私たちは、新しい歴史の扉を次々と拓いていった宗麟公の進取・開明の気風に学び、その偉業と歴史遺産を市民共有の財産として次の世代にしっかりと伝えていかなければなりません。
ここに、私たちは大友宗麟公の功績と我が国でいち早く南蛮文化が花開いた豊後府内を誇りとし、魅力に満ちたふるさと大分を創造する決意をこめて「南蛮文化発祥都市おおいた」を宣言します。
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かつてこの大分の地が、世界と繋がり、日本の南蛮貿易の最先端の場所となっていたという紛れもない事実は、大友宗麟とザビエルの偉業として、今も大分の人々の誇りとなっているんですね✨