自分は景色だった | 毎日真剣‼

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自分を表現する場所

おはようございます!!

 

ちょっと前に子供の生活発表会があってね、

そこで子供達の様子をスマホで録画してたので、

それを見ていて思ったことなんですけどね、

 

子供と一緒に遊びながら動画を撮ったので

動画の中に自分の体の一部と声が入ってたんですよ。

 

でもね、思考は入ってなかったんですよ(笑)

 

何が言いたいかっていうと、そのときに自分が何を考えていたかは

思い出せないんですけど、体は動いているし、声も出ててるんですよ。

 

そりゃあ録画してるんだから当然って言われるかも知れないですけどね、

 

じゃあ逆に思考を録画する方法ってあるの?

 

ない

 

じゃあ録画は無理だけど日記ならどうか、例えば

○月○日に○○した、楽しかったと書いてあったとしよう。

 

でもそれはそこにそう書いてある文字があるだけで、

それを今解釈しているだけで、思考を保存していることにはならない。

 

結論、思考は常に今起きているのであり、

それは勝手に起こり、勝手に消えていく

 

自分の体の動きも同じで、思考したから動いているわけじゃない。

体の動きに思考を重ねたときに自分がやっているという錯覚が起きているだけだ。

 

例えばここで「呼吸」と書けば、呼吸に意識が向くので

自分が呼吸をしていることがわかるけれども、

意識する前までは勝手に呼吸していた。

 

これは動画の中で動いている自分の体と同じで

そこに思考があろうがなかろうが、その動きがそこで起きている。

 

ということはつまりこうだ。

 

自分が一番自分だと思っているその肉体は

自分ではなく、自分が見ている景色の一部であるということ。

 

そしてその景色というのは思考を通して見るので

右手が動いたときに、自分が右手を動かしたという思考が起きれば

 

何の疑いもなくそれは自分がやっていると思うだろう。

 

だが実際はそこで自分が右手を動かしたと思わなくても

右手が動くという起こりが起きれば、それは起こる。

 

これが腑に落ちてくると段々体の動きと思考は関係ないということがわかってくる。

 

けれども思考のとおりにしか現実は映らないので、

自分が悲惨だと思えば、その体の動きも世界も

全てそのように映るというわけだ。

 

例えが極端かも知れないが、ある夫婦が取っ組み合いをしていて

その様子を録画したとしよう。

 

そしてあとからそれを見たときに普通は夫婦がケンカをしていると

思うだろうけれども、実は夫婦ともに格闘技をやっていて、

たまたま夫婦でスパーリングをしていただけかも知れない。

 

つまり自分が意味を与えているだけで、

最初から固定の意味を持った何かは存在しないということである。

 

だから今自分の目に映っているもの、つまり対象化できるものは

体も思考も含めて全て景色であり、自然であるということ

 

そして自然であるということは勝手に起きて勝手に消えていくわけだけれども

ここで一つ不思議なことに気付く。

 

それはその何かが勝手に起きる前、そしてその何かが勝手に消えたあとも

最初からずっとその様子をそこで観ていたものが在る。

 

それはずーーーっと在る、ずーーーとあるが故に、

それは起きたことも消えたこともない、とにかくずーーーと在るんですよ。

 

それは何なんだろう?

 

ズバリそれがソレだ

 

そんな話です。

 

今日も真剣に最後まで読んで頂きありがとうございました!!

 

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