適性
「己を知る」
あまり好きな言葉ではない。大抵、何かをあきらめるときに使う言葉だからだ。
しかしながら、年齢を重ねて、「並以下の能力を向上させるために、無駄な時間を使ってはならない」とのドラッカー先生の言葉に同意できるようになってきたのも事実。
士業
士業において厄介なのは、資格の取得が適性を有していることを証明することではないということだ。
特に、合格率の低い資格においては、問題だと思う。実務における適性がなければ、資格取得に要した時間は丸ごと無駄になってしまう。
弁理士業
特許事務所で明細書を書くには、いくつかの適性が必要だと思う。
1.理系の素養
あまり文系のバックグラウンドで弁理士資格を目指す人はいないが、資格取得を目指す前に理系の素養の有無を確認すべきであろう。高校の時に、なぜ文系コースを選んだのかを考えてみた方がいい。理系科目が嫌いだという理由ならば、この点を熟慮すべきだ。
2.国語力
弁理士資格を目指す人の多くは理系のバックグラウンドを持っているだろう。逆に、理系の人は、なぜ、高校の時に理系コースを選んだのかを考えた方がよい。国語が嫌いだからという理由ならば、文章を書く能力を冷静に考えてみた方がよい。簡単なテストは、自分が書いた日本語の技術文書を英訳してみることだ。例えば、主語や目的語の欠落及び主語と述語との不自然な対応が散見されるならば、慎重に自己の適性を考えた方がよいと思う。
3.読む能力
ドラッカー先生によれば、人間は、「読み手」と「聞き手」に分類されるとのこと。両方の能力を兼ね備えていることは、あまりないらしい。特許事務所の弁理士に要求されるのは、圧倒的に「読み手」であることだ。聞くことによって理解することが得意な人は、気を付けた方がよい。
自覚症状
自分にとっての「並以下の能力」とは?
他人に対する管理能力だと思う。本能的な嫌悪感も影響しているのかもしれないが、同性且つ年下の人間を管理するのは圧倒的に苦手。
この点からも、補助者を使わず仕事を行うストラテジは、自分にとってよい方向に働くことだろう。
夏の部活で、暑苦しい体育教師が言ってた「君たちには無限大の可能性がある!」という言葉がとても甘美に聞こえる今日この頃。
今からでも他人を管理する能力が磨けるだろうか・・・。
所詮、適性なんてものは、主観的な相対評価。
結局は、適性の有無なんて、自分で勝手に決めてるだけなような気もする。
「その気になれば、きちんとできるお子さんだと思います」
(小学校のときの通知表より)