◆◆◆ 六 ◆◆◆ | Data Stone

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ゼダがトンネルを抜けたのは、あれから20時間も経過してからだった。予定よりずいぶん遅れていた。途中、目の前が真っ暗になるほどの激痛が頭の中を駆け巡り、歩き続けることが到底出来なかったからだ。ゼダは道の真中で頭を掻き毟りながら蹲った。

激痛の中、ゼダは昔の事を思い出していた。子供の頃、彼は野球チームに所属していた。ピッチャーだった。チームの中心的な役割であり、チーム・メイトから頼りにされていた。監督や親からの期待も大きかった。しかしプレッシャーではなかった。彼は期待されることでより大きな成果を収めていった。

中学に入ると野球はばったり止めた。友人との喧嘩が元で、ゼダはクラス中から嫌われ者になった。その日以降、誰も口を利いてくれなくなった。今まで仲良かった友達も離れていき、生まれて初めて死にたいと考えた。

精神的な疲労で勉強は思うように進まず、高校進学を諦めた。親はとにかく高校に入れたかったようだが、自分の足で歩きたいという意志が固まっていた。社会に出て、人生を一から始めたかったのだ。

初めて就いた仕事はペンキ塗りのバイトだった。ペンキの塗り方を教えてくれた男は名前をティムと言った。六十歳くらいの老人だった。ゼダは真面目に働いたので、ティムはゼダを気に入り、住む場所や食事などで色々世話をやいた。

ゼダは十八歳になったとき、ティムは胃の病で倒れた。ゼダがティムを病院に連れて行ったときは既に手遅れで、ティムはしばらくして死んだ。

ティムは死ぬ間際にゼダに遺書を渡した。この遺書は自分が死んでから読んでくれと言う。最後に残した『ありがとう』という言葉は今でもゼダの心の中で響いている。

ゼダは泣いていた。親元から離れて既に数年が経ち、家族の温かさはすっかり忘れていた。涙ぐむ目で遺書を開けると住所が書かれていた。そこに行けということだろう。ゼダは休日を取り、その住所を訪ねることにした。

『オーパス・シティ』は第12セグメントにある高級住宅街であった。裕福な人々が住む街で、ゼダには全く無縁の場所であった。高速モノレールでオーパス・シティに下りると、思ったより庶民的な人々が多かった。高級住宅街も庶民化が進んだのだろうか。ゼダは少し心に余裕を持つことが出来た。

ティムが指示した住所は、オーパス・シティの中心街にあった。メイン・ストリートを歩いていくと、婦人向けのバッグを売っている店に辿り着いた。店の名は『ゼッダ』と看板に書かれていた。自分の名前に似ており、ゼダは奇異に感じた。

店に入ると中に数人の客がいた。いずれも四十歳くらいのご婦人で、さずがに男であるゼダの入店は彼女らの注目を浴びた。すかさず店員がゼダに話し掛けた。

「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」

ゼダは俯き加減に答えた。

「ティムという人にここを紹介されたのです。ティムというご老人をご存知でしょうか?」

店員は首を振った。客も目をバッグからゼダの方向に向け、事の成り行きを見守っていた。

ゼダは店員の言葉に困ってしまったが、ティムを信じて再度質問した。

「この住所はここで間違いないと思うのですが・・・。」

店員は紙を受け取り、住所を確認した。

「住所はここで合ってるけど、でも・・・。」

知らないという感じで店員も困ってしまった。二人とも沈黙していると、客の中から金髪の婦人が二人に近づいて話した。

「ちょっと見せなさい。んー、あら。これ、サイド・ストリートのことよ。昔はあそこがメイン・ストリートだったから。」

婦人は紙をゼダに返してメイン・ストリートの先を指差した。

「メイン・ストリートの隣がサイド・ストリートよ。番地は同じだから、1ブロック先が多分この住所ね。」

ゼダはお礼を言って店を飛び出した。歩く人々を掻き分け、目的とする住所を目指した。

果たしてそこには小さな古書店が建っていた。

ゼダが店の前に立つと、中から呼びかける声が聞こえてきた。

「こっちゃー、来い、若いモン。中に入んせぃ。ほぅらっ。」

中は薄暗くて何も見えなかった。一歩一歩脚が前に進むのを確かめながら、ゼダは店の中に入っていった。ゼダの姿も直ぐに暗闇に溶け込んだ。

店の中には本棚が2列並んでおり、古びた書物が所狭しと並べられていた。床にも多数の書物が積み重ねられていた。書物は紐で結われており、とても商品としての価値があるとは思えなかった。

店の中の明りは天井からぶら下がった豆電球と、入り口入って直ぐ左にある会計を行なう机の上で灯った蝋燭だけであった。蝋燭の明りの向こうに、白髪、白ひげの老人の顔が浮かび上がっていた。老人がいる辺りは、老人が吹かした煙草の煙が蔓延していた。

「へぃへぃ、若者。お前はぁ、ゼダかぃ?ゼダだね?へへぇ。」

ゼダはゆっくり頷いた。

「ははぁ~、大人しい若モンじゃぃな。」

老人はゼダの体をじろじろと身調べた。

「ふぅんむ。まぁ、いいじゃろぅて。ほっほぅ。大人しぃほぉが、仕事熱心じゃしな。」

ゼダはティムの遺書を老人に手渡して訊いた。

「これはティムの遺書です。ティムをご存知ですか?」

ティムは遺書には殆ど見向きもせず、煙草の煙を大きく吸い込んでから吐き出した。

「知らんわけねぇよ。弟だもの。」

「そ、そうなんですか?!親族はいないと、ティムは話していたのですが。」

ゼダは驚いた。今までティムから親や兄弟の話など聞いたことが無かったからだ。

「ぅんむ。血縁関係はぁない。義兄弟じゃぁな。法的にも関係はないんじゃぁが。まぁ、同じ盃を交わした仲、という程度のもんやぁな。」

老人は遺書をゼダに返すと、毛布で覆い被さった椅子から「よいしょ」と立ち上がった。ゆっくりとした動作でゼダの方に近づくと、満面の笑顔をゼダに見せた。そしてゼダの横を通り過ぎ、書棚の上から埃に包まれた小箱を取り出した。蓋を取り外すと、箱には指の跡ははっきり付いた。中から一通の封筒が出てきた。

封筒の封は既に開けられていた。ずいぶん古い手紙のようだが、殆ど触られなかったようでぼろぼろという分けでもなかった。

老人は封筒を開け、中から一枚のプラスチック製のカードを取り出した。クレジット・カードくらいの大きさであった。カードはつるつると綺麗で、鏡のように磨かれていた。

カードは老人の手からゼダの手へと渡された。カードには何か文字が書かれていたが、文字の読み書きが出来ないゼダには模様にしか見えなかった。

ゼダは戸惑った。この老人は自分の名前を知っていた。ティムも知っているという。事前に何か打ち合わせていたのか。受け取ったカードも何のことだか分からない。ホテルのルーム・キー・カードに似ていたが。

「これは何ですか?それにあなたは誰ですか?私が来るのを知っていたようですが。」

老人はゼダから離れると、また先ほどの椅子に戻って行った。ゆっくり腰を下ろすと、こんなことを言った。

「ちっちっち。何も聞くな。わぁしはなんも言えん。運命に従え。もぅ、ここにぁ、用ない。さぁ、去れ。」

老人はそう言い切ると、椅子にもたれ掛かり寝入ってしまった。

ゼダは何も分からぬまま、この古書店を出た。まだ昼間で壁ホールから覗く太陽の光がまぶしかった。ゼダはしばらくオーパス・シティを彷徨い歩いた。