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GAME & WATCH
ゲーム&ウオッチ Game and watch Ball
ゲーム&ウオッチ (BALL)
メーカー 任天堂
種別 携帯型ゲーム機
発売日 1980年4月28日
ボール
対応メディア 内蔵ゲーム
コントローラ入力 内蔵
売上台数 日本の旗 1,287万個
世界 4,340万個
次世代ハードウェア ゲームボーイ
ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0%26%E3%82%A6%E3%82%AA%E3%83%83%E3%83%81
ゲーム&ウオッチ(ゲームアンドウオッチ、GAME&WATCH)は、任天堂が1980年より発売した携帯型液晶ゲーム機(電子ゲーム、LSIゲーム)。CMなど一般での呼称は「ゲームウオッチ」。
概要
任天堂開発による初の携帯型ゲーム機である。ゲームソフトは本体内のROMに書き込まれた「1ハード1ソフト」であり、その後のゲーム機のようにカートリッジ交換で様々なソフトを実行することはできない。タイトルの多くは、難易度が低めのGAME Aと高めのGAME Bの内どちらで遊ぶかを選択できる(一部例外あり)。この選択方法はファミリーコンピュータの初期タイトルにも使用されている。ゲームをしない間は時計として使え、これが商品名「ゲーム&ウオッチ」の由来である。後に、アラーム機能も付くようになった。
第1作は1980年4月28日発売の「ボール」。タイトルにはスヌーピー、ミッキーマウス、ポパイなど他社の人気キャラクターを採用したものもあった。手元で遊べる手軽さが受けて社会現象にもなり、日本での売り上げ総数は1287万個、日本国外では3053万個と、合計4340万個[1]。当時の任天堂が抱えていた莫大な借金を完済し、それでも黒字がでるほどの大ヒットを記録し、その黒字をファミリーコンピュータの開発に投資したことでも知られる。任天堂のテレビゲーム路線のきっかけを作ったゲームとも言え、任天堂の出石武宏や上村雅之らは度々「ゲーム&ウオッチは任天堂のゲームの原点」という発言をしている。
1983年にファミリーコンピュータが発売された事を境にブームは移行し、1985年2月発売の「ブラックジャック」を最後に日本での発売は終了したが、それとほぼ入れ違いで日本国外向けに開発が進められた。最後の作品は1991年10月発売「マリオジャグラー」。またアーケードゲームやファミリーコンピュータの移植版も開発された。1990年代に入ってから、日本国外のみ発売を含むタイトルが逆輸入版として日本で発売されたことがあり、一部の量販店などで輸入トイのような扱いで売られた例もあった[2]。
発売初期のテレビCMは、「いつでもゲームウオッチ、どこでもゲームウオッチ」というCMソングに合わせて商品で遊ぶ場面やゲーム画面が映し出され、最後に「マイクロコンピューターを使ったゲームウオッチ。ゲームをしない時はデジタル式クォーツ時計です」のナレーションが入るというものだった。
ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0%26%E3%82%A6%E3%82%AA%E3%83%83%E3%83%81
19700000 80年代のパソコン登場以前、コンピュータといえばIBM社のメインフレーム。
19700000 初期モンティ・パイソンの傑作コント「恐怖のブラックメール」(1970年)
19800000 1980年代。パソコン登場。
19800428 任天堂ゲーム&ウオッチ (BALL)登場。
19810000 1981年 IBM 社が「IBM PC」を発売。PC市場を占拠。
19810000 日本語がうまく扱えないIBM PCが日本に進出できる余地はありませんでした。
19820000 1980年代前半、パソコンを当時はマイコンと呼んでいました。
19820000 1982年、NEC社、PC-9801発売。
19820000 80年代前半、日本でパソコンといえば、NEC社PC-8001とPC-8801でした。
19830000 1983年、JIS X 0208-1983 (いわゆる 新 JIS)発表。
19830000 EPSONのPC-98互換機は文字セットとして新JIS採用。
19840000 Apple社ははじめNEC特殊文字を外字として採用。
19840000 トロン。1984年に坂村健氏が提唱、無料公開した純国産OS。
19850000 『未来世紀ブラジル』。1985年のハリウッド映画。
19850812 トロン。悲劇のJAL123便には開発プロジェクトの技術者17名が搭乗。
19860000 1986年、「漢字 Talk」の最初のバージョンが登場。
19860000 Appleは「漢字 Talk」にシフトJIS採用。
19860000 1986年当時日本で広く普及していた日本語文字コードはシフトJIS 。
19900000 1990年、IBM PCでも日本語が扱えるOS 「IBM DOS J4.0/V」登場。
19900000 ソニー製電子ブックプレイヤー「データディスクマン」発売。
19900000 「IBM DOS J4.0/V」(DOS/V)登場。世界標準マシンで日本語OS が動くように。
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