生涯
人気歌手、女優の白冰冰の一人娘として、日本の漫画原作者の梶原一騎との間に台湾で生まれた。
冰冰は暁燕が生まれる前に梶原と別居し、帰国したため、暁燕は冰冰の元で育てられた。
成長するにしたがって、有名人である母親とともにテレビ出演する機会も増えた。
1997年4月14日に誘拐され、その後、無残な虐待の末惨殺された。
白冰冰
中華民国(台湾)出身のアイドル、歌手、社会運動家。
かつて日本の漫画原作者・梶原一騎と結婚していた。
梶原 一騎
日本の漫画原作者、小説家、映画プロデューサー。
1966年から『週刊少年マガジン』に連載された漫画『巨人の星』の原作者として名声を上げ、以後『あしたのジョー』(高森朝雄名義)、『タイガーマスク』など、所謂「スポ根もの」分野を確立した功績をはじめ、多くの劇画・漫画作品の原作者として活躍した。
誘拐殺害事件
この事件は台湾史上最大の誘拐事件とされている。
1997年4月14日、私立醒吾高級中学2年に在学中の暁燕は、通学途中に誘拐された。
犯人グループは500万ドルの身代金を要求した。
冰冰はなんとか身代金全額は揃えた。
しかし身代金受け渡しの失敗により、犯人グループは暁燕を殺害し遺体を遺棄した。
肋骨の殆どは折られ両手両足の爪をすべて剥がされ歯も上下殆ど抜かれた。
髪はむしられまばらになり、両耳は爆竹を詰められ爆破、子宮内に釘を48本入れられた後、肛門と膣に鉄パイプを突き刺され直腸破裂、膣腔裂傷。
最後は眼球をくりぬかれ、首を絞められ絶命。
検死官曰く「こんなに凄惨な遺体を見たことがない」と衝撃を受けるほどだった。
4月25日に警察が犯人グループのアジトをつきとめて急襲し、4人が逮捕されたが、3人の主犯格(林春生・高天民・陳進興)を捕り逃がした。
遺体発見時の写真を一部のメディアが掲載し、日本の写真週刊誌にも転載された。
身代金受け渡しの際のマスコミの不手際が殺害の原因になったため、メディアへの批判が高まり、白母娘の住んでいた家の付近に、周辺の住民が「記者有罪」と書いた抗議の垂れ幕を下げた。
時の総統李登輝は、「犯人らを発見次第問答無用で射殺せよ」との命令を発した。
8月19日、台北市内で3人の主犯格と警官800人との銃撃戦が起こり、警官2人が死傷したが、林も6か所に銃弾を受けて自殺した。
10月23日、残る高と陳は台北市の整形外科病院で顔を強引に整形させた後、医師夫妻と女性看護師の3人を殺害して逃亡した。
11月17日、高が警官隊に包囲されると、再び銃撃戦を起こすが、逃げ切れずに拳銃で自殺した。
11月18日、最後に残る陳は、南アフリカ大使館の駐在武官官邸に人質5人を取って、立て籠もり事件を起こしたが、翌日、民進党の謝長廷の弁護の約束を受けて投降し、逮捕された。
1998年1月22日、板橋地方裁判所は陳に対し5件の誘拐・殺人・強盗に対し死刑5回、別の暴行事件などで懲役刑合計59年9ヶ月を言い渡したが、張志輝(陳の義弟、林・高・陳の蔵匿容疑)は無罪判決。
白冰冰はその判決に対し、正義が実証されなかったと納得しなかった。
日本の最高裁判所に当たる高等法院も、1999年3月16日、陳に対し白冰冰への賠償命令として1億7130万台湾元(当時のレートで約6億3000万円)という台湾史上最高額の判決を言い渡した。
同年10月6日に陳の死刑が執行された。
事件の余波
事件は台湾社会に大きな衝撃を与え、台湾の治安悪化が問題となった。
警政署長は責任をとって辞任。
事件に対するマスコミの興味本位の報道は惨殺を引き起こした原因とも言われており大規模な抗議行動が起こった。
母親の白冰冰は事件後に手記「燕よ、空へ―慟哭を乗り越えて」(日本ではルー出版から1998年)を出版。
暁燕を記念して「白暁燕文教基金会」を設立、社会安全、道徳教育、誘拐被害者の心身のケアに関する法律の制定及び死刑の存続を訴え、事件の発生した4月14日に合わせて毎年活動を行っている。
YouTubeから白暁燕誘拐殺害事件
https://www.youtube.com/watch?v=bIz6dlVdbus
乱丸のコメント![]()
最近タイガーマスクの記事を書いてた時にこの事件の事を思い出しました。
すさまじく残忍な事件ですね![]()
犯行の理由については2つの説があります。
■長年にわたって台湾暴力団追放運動に携わってきた冰冰に対する報復。
■冰冰からの借金返済に迫られていたゲーム場経営者張志成からの依頼。
いずれにせよ、マスコミの不手際による身代金受け渡し失敗により殺害されました。
受け渡しが成功していたらこのような残忍な事件は起きなかったのでしょうか![]()
芸能活動もやっていて、これからという時だったのに![]()
お母さんの白冰冰もさぞ無念だったでしょうね![]()
実に残忍で痛ましい事件でした![]()
