練習の『量』と『質』 | 酒井根走遊会のページ

3月も残すところ1週間となりました。

 

新シーズンに向けて、練習に励んでいることと思います。

 

 

復帰したT本啓は動きバラバラ…スピード苦しい…

 

 

 

つまり競技者から普通の人間になってしまったのです。

 

 

 

普通の人間から競技者にカムバックするためにはどうしたらよいのでしょうか?

 

 

練習ですね

 

 

 

この『練習』

 

 

 

長距離で言うと、『量』を求めるか、『質』を求めるか

 

 

といったように多くの人が区別しているようです。

 

 

低速で距離を踏む→『量』

 

高速で短く終わる→『質』

 

と一般的に捉えているように思います。

 

 

 

しかし、『そこはちょっと違うのでは…』

 

 

 

というのが今回のブログのテーマです。

 

 

 

なぜこのテーマに決めたかは、治療院で練習についての話をしていて気になる内容があったからです。

 

 

 

 

その内容は、

 

 

 

「某高校のミドルの練習は600+200を5セット行っているみたいです。

 

 

それくらいやらないとあのタイム(1500m3’52” 800m1’53”)はでないのかな…」

 

 

「今は600+200を1セットしかやっていないから、量も質も全く足りていないな~」

 

 

というものでした。

 

 

この話で何が間違っているのでしょうか。

 

 

 

 

『セットを増やせば練習の効果は向上する』

 

 

 

 

 

というのは間違っています。

 

 

 

600+200を1セット行うのは最大酸素摂取量120%の練習です。

 

血中乳酸値が8~9mmolになり何本も行えないペースで行います。

 

600+200を5セット行うのは最大酸素摂取量100%の練習です。

 

血中乳酸値が6~7mmolになり最大下スピードで持続する練習です。

 

600+200の練習ですがセット数が違うと、獲得できる効果(能力)は変わってきます。

 

 

つまり練習の『目的』を誤って認識していることから、

 

セット数で練習の良し悪しを決めている間違った考え方です。

 

 

今回なにを考えて欲しいかというのは、

 

 

 

練習の『効果』を具体的に考えることです。

 

 

簡単に分けると、

 

 

最大スピードを上げ、酸素負債における耐性を高める、筋力を鍛える練習か

 

(レースの入りやラスト)

→(ショートインターバル、ハイスピードレぺティション、ファルトレク、ヒルトレーニング)

 

最大下スピードを持続させる練習か

 

(レースの中盤)

→(インターバル、レペティション、ファルトレク)

 

乳酸性作業閾値を高める練習か

 

(レースの中盤のゆとりを築く基礎)

→(ロングインターバル、ビルドアップ、ショートペース走)

 

血流量を増加させ、コンディションを整える練習か

 

→(ペース走、JOG)

(レースのための練習を行う基礎作り)

 

 

自分のやっている練習はどこに属しているでしょうか?

 

 

 

判断基準はレースの感覚です。

 

 

設定ペースと自己ベストから推測されるきつさと、

 

 

練習をやって感じる呼吸・筋肉・動きのきつさには

 

 

若干のズレがあります。

 

 

今の現状を判断し、今日の練習がどこに属していて、何のため(レースのどの状況)の

 

 

練習なのかを見極めることが大切です。

 

 

そんな感じで自己分析すると、練習とレースがリンクし、

 

 

練習に対してもっと主体的に楽しく取り組めると思います。

 

 

オーバーワークの状態では、上記内容からトレーニング効果は得られません。

 

 

(練習によるレースとのリンクが困難。)

 

 

 

そんなこんなでまとまりのない解説でしたが、

 

 

 

ただJOGをたくさん増やすこと(距離を増やすこと)が『量』にこだわる…これは??

 

 

以前、野口みずき選手が「走った距離は裏切らない」と言っていました。

 

(どのペースでたくさん走るかが重要です。)

 

600+200を5セットは『量』、1セットは『質』。

 

 

このような考え方ではなく、すべてのトレーニングに『質』は求められるはずです。

 

 

 

自分の体力的に『質』を求められなくなるところが、

 

 

 

その練習で設定できる『量』→時間・本数・ペースである。

 

 

『量』にこだわるというのは、常に『質』を求められなくなるギリギリの『量』を設定することであり、

 

 

『質』にこだわるというのは、常に『量』にゆとりを持って『質』の部分に心を集中できるような設定です。