徳島 Jun '23 : 倭大國魂神社 | 新・旅と酒の記憶

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祖谷渓ドライブ 続き その5

 

落合峠を越えた後は

 

美山市にある倭大國魂神社に参拝

 

ですが

 

手前にある

 

八幡神社から参拝することに

 

御祭神は
・応神天皇
・神功皇后
・姫大神

 

 

史跡の案内によると

「八幡神社は鎌倉時代末期に小笠原長親が重清城を築いたときに

京都岩清水八幡宮の分霊を勧請し、源氏であった小笠原氏の守護神、武神として祭られ、

明治には郷社となり、現在も重清の村人たちの氏神、鎮守の神様として崇敬されている」

と記されてました

 

八幡神社を参拝して

 

109段の石段を上ると

 

倭大國魂神社

 

御祭神は

・大国魂命
・大己貴命

 

 

史跡の案内によると

「由緒は不詳だが、平安時代の「延喜式」神名帳美馬郡条にある「倭大国玉神大国敷神社二座」に比定されている古社で、

大国魂命、大己貴命を主祭神とする。

その御神像は、高さ一尺ほどの剣を杖きて立つ神人の木像で厨子の背後には、「大島郷倭大国魂神社」の墨書があるという。

小笠原氏が崇敬した神社でもあった。

「日本書紀」の第十代崇神天皇紀六年に「天照大神・倭大国魂、二神を天皇の大殿の内にお祀りしたとある。」が延喜式で

「倭大国魂」を冠とする神社は他になく、「倭大国魂」との強い関係が窺える。

境内には、古墳時代後期(六世紀)の三基からなる大国魂古墳群が築かれ、開口する横穴式石室(全長四・六m、高さ二・二m)を持つ一基が倭大国魂古墳で段の塚穴型石室の中でも最も古い特徴を持つと考えられている。

神社北側の吉水には「吉水遺跡」があり、弥生後期の住居七軒とと東西九間・南北三間の堀立柱建物跡が発掘されている。

今後の周辺地域の発掘によって、「倭大国魂神社」を成立させた集団の様子が明らかになってくるであろう。」

と記されてました

 

 

参拝後は徳島市内に戻りレンタカーを返却