GWに入りましたね、皆さんいかがお過ごしですか?


まるちゃんです、こんばんは。





まっつあんは、スティーヴが今年か来年、広島に来れたら、

一緒に阿蘇までツーリングをする約束をしていました。

30日の朝、まっつあんは思い立ち、

買って間もないコンデジ持って、阿蘇の写真を撮りに行きました。

何故なら、奥さんのマータに送るためです。

撮ってきた選りすぐりを(あればいいんじゃけどねぇ・・・)、

ミニアルバムにしてカードと一緒に送ることにしました。






常に前向きでチャレンジ精神旺盛、


バイタリティ溢れていたスティーヴが、


私達のクヨクヨした姿を見たらどう思うだろう・・・


もう気持ちは届いているはず・・・


腫れ目の姿を、スティーヴが喜ぶはずはない。


昼寝から目が覚めると、ふと・・・そう思うようになっていた。






そこで今日は、少し思い出を書いてみようと思いますえんぴつ


(ちょっと長くなるかもしれないので、お時間のない方はスルーしてね)





スティーブとの出会いは、95年の10月。





まるちゃんは、95年9月から11月末日までの約3ヵ月間、


トロント交響楽団のライブラリーに研修生として在籍させていただきました。


亡きスティーヴは、私が公私共にお世話になった、


トロント響のライブラリアン@ゲイリーの親友です。


当時、スティーヴはクリーヴランド管に在籍していました。





マータが私用でトロントへ来たとき、

せっかくだから、一緒にクリーヴランドに行こう!ということになりました。

マータの運転で、ゲイリー、そして私の三人で

トロントからクリーブランドまで車で約6時間の旅・・・珍道中。





到着すると、留守番をしていたスティーヴが直ぐに駈け出し、

「広島から、よく来たね!待ってたよ!」と、HUGをしてくれました。


実は、スティーヴが子供の頃、

現在もオークランドで御健在のスティーヴの両親は、

広島から交換留学生として来ていた女子高生をホームステイさせて、

面倒を見てあげたそうです。

彼女と御両親は、今でもずっと連絡を取り合っているそうで、

スティーヴも、広島には特別な感情を持っていると言っていました。


そして、日本だって色々な都市があるのに、まさか自分のところに、

広島の子が来てくれるとは、何か縁を感じると言っていました。





観光ではなく、長期滞在された方なら誰でも似たような経験があると聞きますが、

言葉が通じない、意思を伝える事が出来ないもどかしさと言うのは、

これは本当に辛いものです。

日本語では言いたい放題のまるちゃんも、例外に洩れず・・・。




英語が不自由なまるちゃん・・・

「上手喋れなくてごめんね」と言うと、

「僕の方こそ、日本語が話せなくてごめんね」と。


リップサービスでこう伝える人と、スティーヴの違いは、

「日本人は何種類もの文字を使っているんだよ。

僕達にはアルファベットしかないから、日本人を見ていると僕はすごいと思う。

小さなマス目に、漢字をあてはめることも出来るんだよ。

これは僕にとってミラクル。

僕とマータは日本庭園が大好きなんだ、本当にすごいよ。

日本人は小さな庭にも、自然を表現することが出来る。

まるにも日本人の素晴らしいオリジナリティがあるんだよ、

もっと自信を持った方がいいよ」


ざっと、こんな内容の事を言ってくれたと記憶しています。

異文化への理解の大切さを、スティーヴは教えてくれたと思います。




クリーヴランド滞在中、

スティーヴは私と一緒にトロンボーンを吹いてくれた事がありました。


「卒業して吹いていないから、もう音が出んよー」

と避けていたのですが、「吹こう吹こう!」の一点張り。

とうとうある日、リビングで一緒に吹くことに・・・

しかし、

「あ~目も当てられんことになったらどうしよぅ」

の不安もどこへやら・・・


まるちゃんのヘッポコな音も、スティーヴの豊かなサウンドに包みこまれ、

まるでスティーヴのような一流プレイヤーになったような気分になったのでした。

(スティーヴの音は豊かです。つまり倍音が沢山含まれている)

ヘッポコ@まるちゃんでも気分が良くなると、

不思議な事にドンドン吹けてくるもんなんよ・・・


「もう何年も吹いていないのに、これだけ吹けるじゃないか!」

と、肩を叩き、満面の笑顔で喜んでくれたスティーヴ。




後になって思うに・・・


これは自信を失っていた私への、


スティーヴの優しい計らいではなかったか?と思います。


控え目で思慮深い諭し。


スティーヴ、底抜けに優しい人でした。




スティーヴは、子供頃の経験があるから?

私が滞在中に接した人の中で、一番英語が聞き取り易かったと思います。

スティーヴ、マータ、ゲイリーのお陰で、

私は元気を取り戻せたのは、言うまでもありません。

不自由ながらも、色々な事を話しました。

人間というものは、心と心の繋がり、

目に見えない思いやりというものに救われると感じます。





後から解った事ですが、


ゲイリーは日に日に元気がなくなる私の事を心配して、


スティーヴに相談の電話をしたそうです。


トロント響にいたMさんが、クリーヴランドに移籍されたので、


オケには日本語が解る人は皆無でした。


日本人はよく群れるといわれますが、群れようにも群れる人がいなかった(笑)


最初は、たわいもない会話で何とか過ごせるものですが、


1ヵ月経過した時期はもどかしさもピークに達し、精神的に一番キツかったと思います。





縁というものは、不思議なものです。

帰国して、クリーヴランドの出来事をまっつあんに話すと、

同じトロンボーン奏者と言うこともあり、

スティーヴに是非会いたいと言いだしました。

実は、スティーヴからは「まっつあんも、いつでもいいからおいで」

と、言ってくれたので、

年が明けて直ぐ、極寒の1月のクリーヴランドへ旅立ったのデス。




この出会いで習得したことは、

今ではまっつあんがお弟子さんたちに伝えています。

スティーヴの生きた足跡は、日本でも永遠に生き続けるのだと思います。



Maruchanの広島じゃけん♪

 ↑

スティーヴが、レッスン中に

同じく言葉が不自由なまっつあんに書き記してくれたメモ。

物凄く明快に書いてくれています。


スティーヴとまっつあん、

彼らは師弟ではあるけれど、良き友人でもありました。

傍から見ていると、まるで兄弟のようでした。

スティーヴが日本に来る度に、二人は親交を深めていました。




話はそれますが、


本物のプロフェッショナルの生活とはどういうものか?


私は、スティーヴやゲイリーの日常を見て感心したものです。


一言でいえば、節制の効いた生活でした。





先ほど、トロントのゲイリーからメールが届きました。

「まるには、日本語を教えてもらったね。

今でも覚えている一つに”GANBARE"があるよ。まるも”GANBARE”」

皆でこの悲しみを乗り越えよう!と、書いてありました。

〆は、Love, Gary Oji-chan(笑)

ああ・・・こういうウィットに飛んだユーモア・・・

スティーヴもこういう人だったなあ~と、思わず笑顔になりました。

さすがゲイリー、さり気なく巧いんよね。




ねぇ、ねぇ、


身近なゲイリーだって、こうして立ち上がろうとしているじゃん。


マータの気持ちを考えてみて、


私達がマータに出来る事をやるべきじゃないん?





友人、知人が多く、人を愛し、人から愛された人。

スティーヴの遺してくれた数々の思い出、

今新たに思い起こすことも沢山あります。

スティーヴから受けた恩を返すことなんて出来ないけれど、

まず、自分の出来る事を一生懸命にやる事が供養になる?

それが、スティーヴへの一番の恩返しじゃないか?と思うようになりました。





正直、まだまだ泣けますが、まずはDo the Best!


さあ、しっかり立ち上がろう!






御心配かけました。


温かいお言葉、本当にありがとうございました。


明日からは、いつも通りよろしくお願いいたします。


まるちゃんより・・・