会津のボランティアガイドのために、鶴ヶ城について勉強中。。。
ここで、しょっぱなから壁にぶち当たっています
①5層7重説
(地下2階+地上に見えているのが5階=合わせて7階)
②7重の黒い天守説
(7層が地上に出ている)
う~~・・・・・・・んヽ(;´Д`)ノどっちだあああ!!
①の説は、当時天下人だった豊臣秀吉の大阪城が5層7重だったために、会津の大名に自分より大きい7層の城の建築を許すはずが無いとする説でして。
②の方は、当時の絵図にしっかりと7層の天守が描かれてあるし、この絵図は幕府に提出するものだから嘘を書くわけないと・・・
混乱していますヽ(;´ω`)ノヽ(;´ω`)ノヽ(;´ω`)ノ
だんだんと城フェチになっていく私・・・(笑)
しかし、調べているうちに、当時の会津若松城下が頭の中に浮かんできて、面白かったり。
ああ、此処に門があって、ここら辺一体に武士が住んでいて、町人たちはこっちで・・・
鶴ヶ城、誰か真相をご存知の方いらっしゃいましたらご連絡ください(;´▽`A``
今日は午後半分ずーーっとパンフレット配りをしていたので、喉が枯れました
楽しかったですけどね
あとは、順番待ちしているお客様に、何処に行かれるのかとか質問してカルテ作ったり・・・
すいません、私、会津方面なら任せてくださいなんですが、海外はさっぱりなんですorz
幕末に生まれていたら、完璧に黒船にビビッているであろう私。
とりあえず、明日はお休みなので図書館で
鶴ヶ城について調べます~