6月6日之事 | 世に棲む日々

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次回の龍馬伝、偶然か、または脚本家の狙いか、池田屋事変と同じ日に、池田屋事変の放送です(ノ゚O゚)ノ

と言う訳で、池田屋事変について、「浪士文久報国記事」(永倉さんが書いた)を読んでみたいと思います☆

近江国出生近江屋俊五郎ト号エ四条小橋ニ馬具渡世致ヲル

☆発端☆
実は新撰組、5月頃から古高をマークしていました。

島田魁(←ちなみに、大好きです)(笑) の日記によると、古高は5月下旬に三条大橋辺りの宿に、長州人と泊まっていたことが明らかになっています。それを、観察方である山崎(退じゃないよ!)と島田たち、観察方が会津へ伝えています。
新撰組の情報網の凄さと、観察方の優秀さがわかりますね(ノ><)ノ

☆6月6日、午後6時
夏の京都。
まだ明るかったでしょう。
情報を得た新撰組は、会津藩との連絡、打ち合わせにより、待ち合わせを7時とされていましたが、

それを待っていられる彼らではありません(苦笑)
1時間早い6時に探索開始。この時の動員数わずか34人
そして、新撰組は二手に別れます。

近藤さんグループ
→鴨川西岸の河原町
土方さんグループ
→鴨川東岸の祇園方面

☆午後10時
単独捜索から3時間後の10時頃、近藤さんたちの隊が池田屋に的を絞り込みました。

実はこの時、会津の藩兵も追い付いていたんです。
ドラマだと、新撰組だけ~みたいな描写が多いですが、実は会津藩もいたんですねー(゜o゜)
しかし!そこは新撰組。
「斬り込むのは俺たちですから、会津は周りを固めて下さい」
と、言ったかはわかりませんが(笑)
とにかく、会津は周囲を囲み、近藤さんたちは十人で突入しました。

☆2時間の斬り合い
ここで、時間整理をしたいと思います。

早朝:古高捕縛
(↑なかなか口を割らなかった為に時間がかかった)
午後6時:単独捜索開始

午後10時:池田屋到着~2時間の乱闘

朝7時頃:河原町二条から三条にかけての惨状をききつけて見物人が集まりだす。

朝8~10時:新撰組、並びに会津藩引き挙げ

新撰組の情報収集の早さ、そして少ない人数を二手に分けて探索するという合理的なやり方で、池田屋にたどり着いたんですねー。

ただ、なぜ池田屋を発見できたのかは、確かな記録は残っていませんΣ(・ω・ノ)ノ!

しらみつぶしに探していって偶然見つけたとも、情報がもたらされたとも言われています。

(私的に、ここが一番謎ですー)

新撰組って、けっこう研究されているしメジャーな感じがしますが、調べなおしてみるとまだまだ謎があるなーと思います(@ ̄Д ̄@;)

こう考えると、池田屋事変は本当に「偶然」だったのかも知れませんね。

池田屋を発見できなければアウトでしたし。

う~ん・・・こう・・・研究心をくすぐられる~!!(*゜▽゜ノノ゛☆

でわでわ、池田屋事変、どうなったのかは次回の龍馬伝にて!!(←N○kの回し者ではありません)(笑)


あー。

本当に京都行きたくなったなー。