俳句 | バイカルアザラシのnicoチャンネル

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 サイコロジストの日常と非日常を季節の移ろいを交えて描いています。バイカルアザラシのnicoちゃんの独り言です。聞き流してください。

仲秋の名月と土星、秋の星座

 今夜は仲秋の名月です。紀伊半島は残念ながら雲に隠れてお月様は見えません。酷暑だった夏の星座は早くも西の空に退いて、秋の星座が瞬いています。お月様の右には土星が輝いています。土星は29年ほどで太陽の周りを回っているのですか、地球から土星の輪が真横になることがあります。15年周期でこのようなことが起こります。今は少し見えだした頃でしょうか。土星の輪が見えない方が珍しいですよね

 

仲秋の名月と土星

 夕方に撮った仲秋の名月です。月齢は14.3なのでまだ十五夜までは数時間必要です。と言っても満月です。銀色のススキの穂が秋風になびき、月見団子を供えれば、日本の風情そのものなのですが。

 

 仲秋の名月を詠んだ俳句はいっぱいあるのですが、有名な物は芭蕉の一句です。

 

 名月や 池を巡りて 夜もすがら

 

 短歌ではあまり名月とは言いません。普通は望月です。今では俳句で名月を詠むのは常套なのですが、当時としては珍しい表現でした。43歳になったこの日、芭蕉は門弟とともに句会を催していました。

 

 今でこそ、東京は街頭とビルの光で星は見えません。申し訳なさそうに月だけが見えています。街灯のない江戸時代の東京の空は漆黒でした。月だけでなく満天の星が見えていたことでしょう。エンターテイメントもない夜に、月を見ることは唯一の楽しみだったのかもしれません。

 

 仲秋の名月が池に映るのを見て、池の周りを巡っていると夜が明けてしまったという内容です。月本体の美しさだけでなく、池に月が映れば二倍美しいでしょう。その美しさに惹かれて池の周りを回っていると夜が白んできた。

 

 芭蕉は46歳で奥の細道に出かけています。この句はその三年前のことです。俳句の門弟がいるといってもお仕事で忙しい芭蕉です。芭蕉は宗房が本名で、藤堂高虎が始めた藤堂藩の家来でした。芭蕉は奥の細道の行程の速さから忍者だとか言われていますが、ミステリアスな人物です。芭蕉は幕府の命を受けて神田上水などの水道事業を指揮しました。幕府は「すべて宗房(芭蕉)の言うことを聞け。」と命じています。この上水道ですが、関東大震災が起こるまで使われていました。大手ゼネコンの総元締めのような芭蕉が俳句を詠む。人は様々な顔を持っているものです。藤堂高虎は徳川家康の横に眠っています。いわば幕臣の側近中の側近です。その関係があって芭蕉が江戸の上水道のインフラ整備に抜擢されたのはありうることです。

 

 今夜も美しい月を見たいのですが、紀伊半島は雲に隠れて見えません。夕方に月の出を撮っておいてよかったです。

 

浜松市月、県道360号線と湖

 ところで月なのですが、静岡県浜松市天竜区に「」と言う集落があるそうです。本当かと思えば、道路標識に浜松市月とあるので実在する街のようです。