紀伊半島の見たい桜 part2 津市美杉竹原の淡墨桜 | バイカルアザラシのnicoチャンネル

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 サイコロジストの日常と非日常を季節の移ろいを交えて描いています。バイカルアザラシのnicoちゃんの独り言です。聞き流してください。

 松阪駅には名松線という単線の鉄道が走っています。始発駅は松阪終点は名張です。この路線は軍用列車を運行するために敷設されました。伊勢奥津駅までは開通しましたが、名張まで開通するに至らず終戦を迎えました。

 

 伊勢竹原駅で途中下車をすると一本の美しい桜があります。淡墨桜と呼ばれていますが、樹種はエゾヒカンザクラです。樹齢約400年、幹回りは4m、枝振り高さとも10mあり、端正な形の巨樹です。

 

 昨日が満開でした。一日経った今日、やはり満開です。人はどうして大きな木の下に集うのでしょうか。大樹の下から花を見上げます。下から見るとドーム状になっていてそれは一つの小宇宙のような世界が広がっています。「寄らば大樹の陰」という諺があるように、安心感があるのでしょう。

 

 太い幹の傍でカメラを構える人。いったい何を思い何を感じているのでしょう。それは懐かしい母の胎での思い出なのかも知れません。人は羊水の温かさの中でふんわり浮かび、この世界に出るのを待っています。絶対の平安と安心がそこにあります。大樹の中に入るのは、その頃の記憶をたぐり寄せているのでしょう。

 

 このあと雨が降りました。満開を過ぎれば花は朽ち、風が花びらを靡かせます。それは春の始まりから、本格的な春の訪れへとどうしても通らなければならない通過点なのでしょう。

 

 こんなことを思っていると、紀友則の一句が浮かびました。

 

 久方の 光のどけき 春の日に しず心なく 花の散るらむ

 

 春の日差しがのどかな春の日に、桜の花が散ってしまうので、心が騒いでしまう。今日のように陽光がのどかだと春が本当に来たのだと思います。古代人にとって暖も採れない冬から春の到来は本当に待ちに待った季節になります。それでも桜も満開を過ぎると花は朽ちでどんどん散っていきます。そのはかなさ、季節が移り変わっていくように、世の中もまた常に移り変わっていく。無常観さえ感じられる一句です。

 

 満開までの期待感と高揚感、そして、満開を境に無常観が一気にほとばしります。美しい物は、いつまでも美しい姿を留めることはありません。人はその最高の美をカメラで切り取ろうとします。それでも、カメラは裏切ります。人の目にはもっと美しく網膜に焼き付けられているのでしょう。

 

 紀伊半島の桜の名所と言えば、宮川堤のソメヨシノや三多気の山桜、そして、吉野山が最高峰なのでしょうが、ここの一本桜は桜の名所百選とはちがった世界が広がっています。そして、そこに集う人は、百人様の小宇宙を見ているのでしょう。伊勢竹原の淡墨桜にはそんな世界が広がっていました。