明和町には祓川が流れています。この川は天皇のご名代として明和町斎宮に使わされ、伊勢神宮に仕えました。斎王様はここで禊ぎをなさったと伝えられています。川のそばには菜の花が植えてあります。今年は雨が少ないため例年より長が短いくて小ぶりです。
斎王がお詠みになった短歌は多くはないのですが、大伯皇女の歌にこんなのがあります。
うつそみの 人にある我れや 明日よりは 二上山を 弟背と我れ見む
大伯皇女は大津皇子という弟を持ち、文武に優れ才能もあり人望もありました。それが恨みに出て謀反の疑いで処刑されしまいました。後ろ盾の天武天皇も崩御され、失意の中で生きながらえた大伯皇女は帰郷します。
この世の人である私 明日からは二上山を 弟として私は見て生きていこう
確かにこの世界は時代を問わず住みにくい、生きにくい世の中です。戦いや陰謀がうごめき、欲望は限りがありません。理不尽の極みを生き抜いた大伯皇女。斎王として神に仕えながら、どれほど弟が天皇に即位する姿を夢見ていたことでしょう。
第一首の「うつそみ」は蝉の抜け殻で、魂が過ぎ去ったことを語源とする言葉です。この歌が詠まれたのは万葉時代なので、この世が空しいというニュアンスはまだありません。それでもむなしさと言うより、一首の虚無感が感じられる表現です。
当時、二上山では火葬が行われていました。死者が赴くところです。もともと日本の素朴信仰に、死者は山の頂に宿り、やがて子孫を見守ると考えられていました。
弟は黄泉の世界に、そして、私自身はこの世にいる。悲嘆と失意の淵源の中でこの一首が生まれました。大切な者を突然失った悲しみ。一度起こったことは二度と蘇ることはありません。この世は常に移り変わり、留まるところがありません。それが「うつそみ」の世界なのでしょう。
常に変化する「うつせみ」に対して「常世 とこよ」と言う考え方があります。あの世は永遠に変わることがありません。
そんなことは知らず、今日も菜の花は咲いています。春風に揺られて温かさの中で、斎王の悲しみも苦しみも知ることはありません。春に気づいた虫たちは、蜜を集め花粉を運んでいます。川の隣にある雑木林では小鳥たちの鳴き声が聞こえます。この長閑さの中で大伯皇女の慟哭は聞こえようもありません。
そんなことを考えながら菜の花の小径を通っていくと、ヒカンザクラが蕾をいっぱいつけていました。そして、一カ所、花が咲いています。ありのままに。大伯皇女が悲しみ失意の中で、私は今ここにいる。ここに生きている。それがうつそみなのだ。そういうのもなのだ。皇女の透徹した目は、諦念へと昇華されていったのでしょう。諦念とは諦めることではありません。うつそみを受け入れ、ありのままを生き抜いていく。新しい生きるパワーがそこから生まれていったのでしょう。それは悟りのようなものだったのかも知れません。自分にとってはヒカンザクラの開花が一隅を照らす光のように感じられました。
闇が深ければ、光はより煌めき輝きます。そして、皇女はそれを三一音に定着し、その想いは文字を通して、遙かなる時空を越えて永遠に私たちの心に生き続けるのでしょう。