月の出は毎日50分ずつ遅れてい来ます。今の時期は日の出時刻が早くなっているので、ますます太陽と月の間隔は狭くなっています。あと二日もすれば新月。全く見えなくなります。今は、かすかに細い有明月の影があるのみ。
稲荷山は静かです。いつもなら参拝の人が急な石段を登っていくのですが、どうしたことでしょう。
朝日が昇ると田圃の水面に稜線が映り、一面はシンメトリーの世界になりました。今日は風がないのでくつきりと鏡の世界となりました。それでも水面を揺らす物がいます。オタマジャクシ達です。今、卵が孵化してオタマジャクシがウジャウジャいます。これが地上に出てきたらどれだけのカエルになるでしょう。梅雨入りになって一斉に鳴きだしたら、空まで届きそうな数のオタマジャクシが泳いでいます。
斎藤茂吉の短歌にこんな一首があります。
死に近き 母に添い寝の しんしんと 遠田のかわづ 天に聞こゆる
斎藤茂吉は東京で医者をしていました。母危篤の知らせが来ます。彼は急いで汽車で故郷に帰り、母の傍らで看病します。命の齢ももうわずか。死線呼吸をする母は確実に死に近づいています。辺りはいたって静かで物音一つしません。しんしんとは静かに物事が進んでいく様子を表します。そのしんしんが確実に母の命が死に進んでいく。遠くの田圃から聞こえてくるカエルの鳴き声。それが天にまで聞こえているようだ。茂吉の深い悲しみの慟哭がカエルの鳴き声と二重写しになっている一首です。カエルたちの命の息吹。そして、死にゆく母の命のはかなさが描かれ、命ってこんなに尊いものなのだと思わずにはいられません。母の命のはかなさというよりは、死にあえいでいる命の強さと読むこともできます。死にゆくベクトルとその中で生への執着、この31音には様々な意味が込められています。