崎ノ湯に浸りながら白浜温泉を世に知らしめた有間皇子のことを思い出しました。中大兄皇子が中臣鎌足と、蘇我蝦夷入鹿親子を滅ぼします。大化の改新を行った中大兄皇子は皇太子となり、後に天智天皇として即位し、大和政権の中央集権化を進めます。
先の孝徳天皇の子ども有間皇子は聡明でしたがまだ幼少でした。有間皇子が大きくなれば、人望は有間皇子に向かうことは必至でした。有間皇子は政争に巻き込まれることを嫌い、ここ白浜温泉で湯治をします。やがで、蘇我入鹿の従兄弟赤兄に謀反をそそのかされ、それに応じてしまった皇子はそそのかした当の赤兄の軍に捉えられ、中大兄皇子に尋問され絞殺されます。有間皇子が十九歳でこの世を去るときに詠んだ一句は、万葉集に収録されています。
家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る
家にいたら器に盛るご飯を、今は旅にあるので椎の葉に盛って食べる。
古事記や日本書紀にはこのような皇族達の争いが赤裸々に記されています。古事記・日本書紀は天皇の権威を高めるために神話として意図的に編纂されたと見る人たちもいます。もしそうなら、このような皇太子が皇子を絞殺するような事件を載せるはずはありません。記紀の編纂者は誰であろうとも日本国家がどのように成立してきたかを透徹した視点で書いています。日本の歴史で天智天皇の果たした役割は絶大なもので、明治維新期にヨーロッパ列強から植民地化される危機から救ったと言うこともできます。
白浜温泉を世の中に広めた有間皇子、海中から湧き出る硫黄の香りと炭酸を多く含んだ熱い源泉は今も変わらず湧き出しています。崎ノ湯からは黒潮躍る熊野灘が見えます。有間皇子もこの湯に浸り、岩をくりぬいただけの熱いお湯に浸かりながらこの景色をご覧なられたことでしょう。この日は雨でしたが、露天風呂だけの湯船は野性味があって趣は最高でした。海と湯船は一枚岩で仕切られているだけなのですから。コロナ以前の生活が戻りつつある今、また、外国人の方々が白浜にもいらっしゃいます。有間皇子が愛した温泉は、遙かな距離を旅してもここに浸りたいという魅力を持っているのでしょう。その泉質は、入った途端に体中の細胞が小躍りするほど活性化するイメージです。人は大げさに表現したり、言葉を飾りたくなるものですが、ここに来て見て触れれば、十人十色の表現が生まれると思います。
なお、崎ノ湯での写真撮影は禁止されています。白浜町観光局の画像をお借りました。また、この写真は受付で許可をいただいて撮影した物です。500円で入ることができます。駐車場は十台ほどです。無休ですが掃除で休業する場合があり、この日は午後から休むとのこと。電話で確認するといいかも。ちなみに脱衣場と露天だけなので、男性の湯船は近くの海中展望台から丸見えです。湯船に浸れば見えませんけど。