HUBSAN ZINO MINI PRO 空撮 中世の城郭 白米城 | バイカルアザラシのnicoチャンネル

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 サイコロジストの日常と非日常を季節の移ろいを交えて描いています。バイカルアザラシのnicoちゃんの独り言です。聞き流してください。

 今日は三重県松阪市にある阿坂城に登ってきました。浄眼寺の近くの駐車場から40分で枡形山山頂に着きます。青い線が今日の歩いたルートです。

 

 室町時代に足利幕府軍を迎え撃った北畠氏はこの城にこもり、戦いました。幕府軍は水がなくなるのを見越してひたすら待ちます。軍師たちは馬の背に白米を流して、水がふんだんにあると見せかけました。欺かれた幕府軍は水攻めを諦めて退却したといいます。

 

 眼下は松阪市街から伊勢平野全体を見渡せます。志摩半島の先端には神島も見えます。霞の向こうには知多半島もうっすら姿を現しました。

 

 北に目を向けると鈴鹿の山々が雪をいただいています。セブンマウンテンという鈴鹿山脈の七つの山が美しい。四日市コンビナートから亀山市のシャープの液晶工場も見えます。

 

 伊勢湾はまるで湖のように見えます。松阪市、津市、鈴鹿市、四日市市まで一望。

 

 ドローンは北を向きました。布引山脈が見えます。名前の通り布を風になびかせたような高原状の峰が連なります。ここには青山高原の風力発電施設があります。風車がゆっくりと回っています。

 

 北畠の忠臣たちはこぞってこの城にこもり知恵を巡らして足利幕府軍を退却させました。しかし、安土桃山時代、織田信長軍が大軍を率いてこの城を攻めました。城はあっけなく陥落。中世の山城はその機能を失い、蒲生氏郷が築城した松阪城のような平城へと変わっていきます。

 

 氏郷は都市整備を行い、商業を盛んにしました。今でも殿町、魚町、白粉町などゆかりの地名が残っています。江戸時代になると松阪木綿が盛んになり、三井六右衛門高利が江戸で越後屋を始め、掛け値なしで着物を仕立て大繁盛。当時は木綿の布を売るだけで、買った人が自分で着物を作っていたことを考えれば、画期的な商法を考えたものです。

 

 「越後屋、おぬしも悪よのお」の時代劇の台詞ですが、高利はいたってその商法は真面目。それは今の松阪商人にも受け継がれています。人口あたりの売り場面積が日本一の三重県。よく働いて、よく買います。白米城は様々な戦国大名の攻防の歴史を超えて、今も松阪市を見守っています。

 

 

 今日は無風で城跡にはたくさんの人々が日だまりにお弁当を広げて、山頂からの眺望を楽しんでいました。画面をクリックすると動画になります。