電線にツバメが六羽止まっている。 | バイカルアザラシのnicoチャンネル

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 サイコロジストの日常と非日常を季節の移ろいを交えて描いています。バイカルアザラシのnicoちゃんの独り言です。聞き流してください。

 ツバメが電線に六羽止まっている。起きたすぐは何と言っても毛繕い。飛ぶためにも、雨をはじくためにも必要な朝のルーチンだ。みんな巣立ったばかりの子燕。

 

 ツバメの寿命は一年半と短い。その中で日本と数千キロ離れた南の国とを往復して子育てをする。この子燕は南の島で子どもを産み、来年またここにやってくるだろう。でも、また南の国に戻れるかは寿命があとわずか。

 

 そんなことはこの子燕は知らない。たとえ知っていても今朝もさえずり、毛繕いをし、餌を探しに行くだろう。今を生きる子燕たちは朝の毛繕いを終えると全身に力をみなぎらせた。

 

 飛んだ! この羽と一羽ばたきでどこまでも飛んでいけるだろう。

 

 江戸時代の俳人松尾芭蕉がこんな一句を詠んでいます。

 

 盃に 泥な落しそ むら燕

 

 私の杯に泥を落とさないでくれ。ツバメの群れよ。こんな意味でしょうか。わび、さびを求めた芭蕉にしては少し滑稽な俳句です。芭蕉は門人を連れて旅道中での一句なのでしょうか。お酒を嗜むとは芭蕉にしては珍しい光景。

 

 実はこの松尾芭蕉、三重県伊賀市の生まれで藤堂藩の家臣をしていました。藤堂高虎は徳川家康に最も近い側近でした。時代は少し流れても幕府と藤堂家との関係は親密なものでした。彼は江戸に呼ばれて土木工事の頭領に命じられます。今で言えば大手ゼネコンをまとめる総元締めみたいな存在。幕府は「芭蕉の言うことを何でも聞くように」とお触れを出しています。家康が江戸を拠点に要塞都市を築きました。しかし、もう平和な時代が続き、時は元禄時代。それに見合った都市計画やインフラ作りが必要になった時代です。江戸の街を大リフォームする。それを任されたのが松尾芭蕉でした。東京のインフラは芭蕉が築いた物を今でも引き継いでいます。

 

 芭蕉は江戸普請で神田上水の改修を命じられました。彼は水利技術を天職としていました。関東大震災以降は神田上水の役目は終えて、神田川だけが残っていますが、それまではこの地域を水で潤していたのです。芭蕉はあまりにも文学的な功績にスポットが当てられますが、こうして見てくると芭蕉の全く別の顔を垣間見ることができます。

 

 俳句という庶民の遊びを俳諧として芸術にまで高めた芭蕉。わびさびを追求して全国を行脚して奥の細道を完成させました。芭蕉の功績は文学という分野よりも、江戸の街を再開発して現在の東京の基礎を築いたという功績の方が大きいのかも知れません。

 

 この句は江戸の街の大工事が終了して落成の祝杯なのかも知れません。初夏、せっせと泥を運んで巣作りをする空に群れるツバメたち。泥を祝杯に落とさないでおくれ。何ともほのぼのとしためでたい一句です。この日、江戸の人たちはこぞって新しく生まれ変わった江戸の町並みを見ておおいに祝ったことでしょう。