カエル夫 今朝は雨、降っとる。
カエル妻 天気予報では、いっぱい降るらしい。
カエル夫 雨脚が強くなってきたでなあ。
カエル妻 風も強くなっとる。
カエル夫 棚田の水面に風が足跡をつけて、吹いていった。
カエル妻 風の神さん、今日は強う吹かんといて。
カエル夫 イヌフグリがシロツメ草に埋もれてしもた。
カエル妻 これから真っ白な花が咲く。
カエル夫 四つ葉の探そ!
カエル妻 あった! 見つけた!
カエル夫 そんなにすぐに見つかるなあ。ラッキーなヤツ!
カエル妻 目を大きくしてさがしたら、幸せはすぐそばにあるでなあ。
カエル妻 あの風車がゴロゴロと音を立てるので、モグラさんが悩んどるらしい。
カエル夫 風車、壊しに行こか?
カエル妻 わしらの力では倒せんよ。
カエル夫 このまえ、アマガエルがヒキガエルの上に乗っとった。
カエル妻 まさか! アマガエルはアマガエル同士なはず。
カエル夫 生まれてくる子どもの顔が見たい。
カエル妻 きっとアマヒキガエルかも。
江戸時代の俳諧師与謝野蕪村にこんな一句があります。
春雨や 蛙の腹は まだぬれず
春雨が降り出したのでしょうか。待ちに待った雨です。あぜ道に待機していた蛙たちの腹はまだ濡れていません。腹を大きく膨らませて、雨の到来に喜びの声を空高く響かせます。
一方、短歌では斎藤茂吉がこんな一句を残しています。
死に近き 母に添寝の しんしんと 遠田のかはづ 天に聞ゆる
斎藤茂吉は山形の金瓶村から東大の医学部で学んでいました。5月16日、母危篤の一報が入ります。茂吉は故郷へと急ぎました。といっても、まだ医学生の身、死に向かう母を看病しようとしても大したことはできません。夜はしんしんと更けていきます。それとともに悲しみの闇もまた濃くなっていきます。遠くの田んぼからはカエルの声が聞こえてきます。その鳴き声が天まで聞こえているかのようだというのです。
5月と言えば、カエルにとっては生殖の季節。山形の広い田んぼでは、命の営みが繰り広げられています。そんな中、年老いた母という一つの命が消えようとしているのです。蛙の鳴き声は命の息吹を喜ぶ象徴、それが百万億土の天界まで届いているなら、命の営みと死にゆく営みは生命の循環そのものなのでしょう。やがて母も輪廻の世界に入り、いつかはそのサイクルから抜け出し、解脱の世界へと旅立ったのでした。