バレンタインの日曜日 伝説はなぜ生まれるのか? | バイカルアザラシのnicoチャンネル

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 サイコロジストの日常と非日常を季節の移ろいを交えて描いています。バイカルアザラシのnicoちゃんの独り言です。聞き流してください。

 イタリアのテルニにバレンタインという伝説の司祭がいました。三世紀のローマはクラウディオス帝の治世で、皇帝はローマ兵の士気が下がらないように結婚を禁止しました。司祭は皇帝の命令に背いて、兵士達に結婚の秘蹟を行っていました。彼は教会の庭にある赤い薔薇を愛し合う二人に贈りました。


 このことは皇帝の知るところとなり、バレンタインは牢に捕らわれました。貧しい盲目の少女が毎日のように、司祭の説教を聞きに来ていました。司祭は少女に「あなたがたは互いに愛し合いなさい。愛こそが世を救うのです。」と説きました。乾いた土に雨が吸い込むように、飼い葉桶に生まれた救い主の言葉は、少女の心に浸透していきました。司祭は、少女に洗礼を施します。すると少女の目は見えるようになりました。


 皇帝は司祭が盲目の少女の家族に洗礼を受けたことを知ると、司祭を処刑する命令を出しました。明日は処刑が執行される。雨が降っている。一雨ごとに春をもたらすこの雨は、殉教者の心を潤しました。この雨が止んだら春が来る。この雨が止んだら処刑台に上る。その夜、バレンタインは少女に手紙を書きました。「愛する娘へ・・・・あなたのバレンタインより」


 空はこんなに広く青かったのか。太陽はこんなにまぶしくて、月はこんなに青かったのか。小鳥はこんなに小さくて、オリーブの葉はこんなに緑で、トマトはこんなに赤かったのか。少女は司祭を見ました。優しいまなざし。美しい瞳。司祭が処刑台に上ることによって、娘は目が開かれ、救われたのです。


 東の空から太陽が昇るとバレンタインは刑場に引き出されました。「助けよ!」「殺せ!」「彼こそ、愛の人」「背教者」「殉教者」民衆は様々な言葉を吐きかけました。司祭は黙って処刑台に上ります。ほふれらる羊のように何も言わないで黙して。処刑は粛々と執行されました。一つの種が地に落ちて死ねば、そこから多くの命が新しく生まれます。紀元269年2月14日、聖バレンタイン絞首刑にて殉教。列聖される。

 

 ここまで書いてきたのですが、皇帝クラウディウスは兵士に結婚を禁止したという史実はありません。また、2月14日はもともとローマの神々の祭の日でキリスト教とは関係がありません。バレンタインのモデルと言われるバレンティヌスも伝説の司祭でバチカン公会議で実在が不確かな人物は聖人リストから外されています。

 

 女性から男性にチョコを贈るのも日本独特の習慣で、欧米では男女が様々なプレゼントを贈り合う日です。3月14にマシュマロをお返しするのも日本から始まった習慣です。では、一体誰がこんな祭を仕掛けたのか。これは神戸にあったお菓子屋さんが張本人。モロゾフが始めたことでした。

 だいたい日本人はこんなことをするのが得意です。江戸時代に土用に「う」のつく物を食べるといいとウナギを食べるように仕掛けました。明治にはクリスマスにケーキ屋さんがちゃっかり仕掛けました。今ではハロウィーンやイースターも・・・。最近ではコンビニが節分に恵方巻きを食べるなんて仕掛けました。今年は南南東の方向に一口で何も言わないで黙って食べきる。みんながそれを守って食べてる姿は自分も含めて滑稽です。

 

 と言っても、コンビニやスーパーに行けば真っ赤に包んだチョコレートが山積みにされているのは見ると、白ウサギがまことしやかに盛りに盛った伝説は現実味を帯びてきます。要するに仕掛けた物が一番勝者なのでしょう。事実を書けば書くほど白けて尻すぼみになっていくので、この辺で止めようと思います。

 

 ちなみにバレンタインディの俳句は結構詠まれているようです。一首を紹介しましょう。

 

 仏飯を山盛りバレンタインの日

 

 夫を亡くした妻がバレンタインの日に仏壇に供えるご飯を山盛りにしたのでしょう。チョコ一つではなくご飯を大盛りにしたのが面白いです。これは俳句と言うよりも川柳に近いかも。妻の夫に対する愛情がほんのり感じられる一句です。私たちの生活では様々な出来事が起こるわけですが、配偶者の死はストレス尺度では一番に来ます。一般的にいつもの生活に戻るのに二年ほどかかると言われています。このような強いストレスを伴うライフイベントでは、悲嘆や絶望を経験して次第に夫の死を受け入れていきます。毎朝行うお仏壇へのお供え物。バレンタインディだから大盛りにした。なんとも温かい歌です。生前二人はこんな温かい関係の生活だったのでしょう。それはバレンチヌスの少女への愛のようなものに通じます。