明治末期に陸軍が北アルプスの立山で測量を行った。当時、剣岳周辺には三角点がなく、地図が完成していなかった。日本地図の最後の空白点だった。しかも、未踏峰と言われていたため、陸軍と日本山岳会で初登頂にしのぎを削っていた。地図は国土地理院のデータをカシミールで描いた物です。
これは剣岳山頂の三角点。これがなければ地図はできない。江戸時代末期、ヨーロッパ列強が日本を植民地にしようとしていた。当時の幕府の武力なら簡単に列強に植民地にされていたはず。イギリス政府は日本に地図を要求した。幕府は伊能忠敬が作った地図を与えた。イギリスは密かに日本の海岸線を測量していたが、忠敬の地図の正確さに測量を辞めた。こんな正確な地図を作れる国は、自分の領土を統治できる国だと認めた。列強は日本を植民地にするのを諦めた。忠敬の地図が日本の独立を守ったと言うことができる。
測量は困難を極めた。陸軍は苦難の末やっと登頂を果たす。しかし、山頂にあったのは一輪の錫杖。その形は平安時代の古い物であった。修験者が平安時代に初登頂をしていたのだ。陸軍はこれを怒り、剱岳山頂の三角点は三等三角点にした。一体誰がどんなルートでロッククライミングの技術もないのに登頂したのか。それは謎である。アルペンスタイルでなくても登頂できるルートがNHKの特番である程度は特定されている。
初登頂した修験者は生きて帰ったかは分からない。修験者は必ず刀を持っている。もし修行が満行できなければ自ら身を切り裂き死ぬことになっている。山には死んで入るという。つまり山岳修行は捨身の行なのだ。生きて帰れば仏に生かされた者として験を得て、この世で人々の死老病苦を癒す生き仏となる。修験の修行とは自らを極限状態において即身成仏を目指す行なのだ。
修験者は救済のため、陸軍は初登頂のため、映画の主人公は測量のため剣岳に登った。それぞれの目的も違えば思惑も違う。そんな人間の営みとは関係なく、冬の岩の殿堂は眠り凍りついている。
山岳をテーマにした映画は、新田次郎の「八甲田山」や井上靖の「氷壁」などがある。「剱岳 点の記」も新田次郎の小説が原作になっている。現場では落石事故もあり、撮影はかなり苦戦した。厳しい自然は美しい。撮影現場が極限だとなお美しくなる。それを見る人はたぶん安全で温かい快適な部屋にいるだろう。それでも映像は危険で寒い世界に視聴者を否応なしに引き込んでいく。
剱岳山頂からの山岳展望。カシミールで描いてみた。自分たちは白馬三山の中腹でスキーを楽しんでいる。登った山はどれか特定できる。今は、映像やCGでしか楽しめない。今の感染の嵐が過ぎ去ったらどこか登ろう。アルプスを背景に一滑りしに行こう。嵐の後はきっと晴天が来る。
予告編はyoutubeで見ることができます。本編はアマゾンプライムビデオなどでご覧いただけます。他にもi-tunesで407円でレンタルできます。