河原の湿原にススキの穂が咲いている。銀色の穂は夕陽に照らされて金色に輝きだした。陽炎も立っている。今、太陽が西の稜線に沈もうとしている。あの稜線まで行ってみよう。車を急がせたけど、そこに行くとまた新しい稜線が出てきた。夕陽はそこに沈もうとしている。そして、そこで沈んでいった。
少年のある日、虹がすぐ近くの神社の高台に立った。くっきりと社に向かって七色の柱が立って、空に向かって曲がっている。僕は走って高台の社に上った。果たして、虹は向こうの稜線に立っている。また、虹に向かって走って行った。途中で虹は消えてしまった。
春祭が終わって東の空からでっかい満月が出てきた。東の稜線にある展望台に上った。そこから月は出ていた。だから展望台にはあの巨大満月があるはず。展望台に上ると月は空高く昇っていた。
山の向こうに幸せが住んでいるって詩人が詠った。その山に行くとまた向こうにまた新しい山が見えてそこに幸せが住んでいるという。いくつもの山を越えて詩人は気づいた。幸せは自分の心の中に住んでいるのだと。この詩を読んだときバタ臭いと思った。自分の感じ方とちょっと違う。始めから計算したような詩の構成が嫌いだ。自分はシラケ世代なのだろう。
つかめなかった夕陽も、得られなかった虹も、取ろうとした大きな満月も、そこに行けば逃げていく。そんなの知ってるくせに大人になっても何も変わらない。そして、また行くだろう。そこで見える次の新しい世界を見つけに。